もう一度大好きなお父さんに会いたいなあ お坊さんの小話の高階修さんの動画から

 

今日もユーチューブ動画から、とてもいい話がありましたので長文になりますが、ユーチューブ動画から音声ファイルを文字起こししてテキストにした全文をご紹介します

 

もう一度大好きなお父さんに会いたいなあ

 

こんにちはお坊さんの小話の高階修です。
今日もまた、このツルツル頭のお坊さんのお話にお付き合いくださいお通夜でよく話をするお話があります。
お葬式が終わって初七日、二七日(ふたなぬか)とお参りしておりますと、よくあの時お通夜の時に、お話ししてくれた話をもういっぺんつしてくれませんか、もういっぺん聞きたいがですと、よく言われます。

ですので、よくお通夜で私がお話ししているその話を、一話づつ、ご案内させていただこうかと思っております。お通夜の話ですので、お通夜そのままでお話しさせていただきます。どうぞ皆さん、またもう誰か自分の大切な方がなくなる得た、またはその大切な人を思いながらこの話を聞いていただければありがたいと思っております。
それでは今日の南無、気付阿弥陀仏気付きました、と言う南無阿弥陀仏のお話をさせていただきます。


どうぞ最後までお聴きください、それでは始めさせていただきます。皆様ようこそ、お参りくださいました。お通夜のお勤め、阿弥陀経正信偈、先のお勤め阿弥陀経を読経させていただきました。こののちは皆様方と一緒に正信偈を唱和したいと思っております。その前に一言だけ少しお話をさせていただきます。たとへ、あと1年の命です。そうお医者様に言われて覚悟しておっても、あと半年です、1か月です、あと3週間、そお医者様に告げられて覚悟しておっても、あと3日、今晩が山です。とそう言われ覚悟しておっても本当に自分の大切な人、愛する人、そして自分を愛してくれた人、大切にしてくれた人を、そして自分を叱ってくれたその人が本当に亡くなってしまったら、
しておったつもりの覚悟など簡単に吹き飛んでしまいます。

 

ただただ悔しくて、辛くて、悲しくて、そばによって、ただただ泣いておるしか無いまま、私たちの姿でないでしょうか。いやそうでないとまた嘘だろうと、今ここにお参りに来ておられる皆さん方も、ここで話をしておる私もそして遺族席と言われるそこに座っておられる家族の方々も生きております。

 

生きておるからこそこうやって亡くなった方の通夜のお参りにきております。そうなんですよ。生きておるということはこういうことなわけです。どれだけ大事で、どれだけ愛しておる我が子でもそのなくなっていくことを止めることはできんこの私の命をこの子に与えてくれ私は死んでもいいというても自分の命を与えることができんです。

 

よく生きておるということは喜ばしいこと、楽しいこと、そう世の中は申します。けれどもある意味生きておるということは必ずどんなに大切やと思っても、どんなに愛して
おってもその人と、死という別れを迎えなければならないということと同意語でございます。生きて居る限りどんなに大切な人の、どんなに愛しておっても、生きて居る限り死という別れを背負って生きていかねばならん。ある意味生きるということは、悲しみを一つ一つ背負っていくということと同意語でございます。

 

このどうすることもできない命あるものの定め、生きておるということについてくるこのことを、娑婆に残った私たちはどう考えていけばいいのでしょうか。
そのことを教えてくれる、そのことをある意味こう思えばどうですかというそういう例がございます。そのことを一つお話しさせていただきます。ここにお父さんのことが大好きな大好きな二十歳の女の子おります。朝行ってきますと出ていった父親が、その夜は交通事故で亡くなって自宅に帰ってまいりました。大好きなお父さんです。そしてまた二十歳の子です。父親が事故で亡くなったということはちゃんと理解しております。けれども、頭でどれだけ理解しても、心が体が大好きなお父さんの亡くなったということを、うんと言いません。

 

お参りに行くと、その女の子がこう申します。お坊さん、みんな幽霊とか妖怪とかは怖い怖いって言うけど、私は一つも怖くない。幽霊だろうが妖怪だろうが、何になってもいいからお父さん出て来てくれんかなあ。二十歳の自分の父親が大好きな女の子の嘘偽りのない言葉です。本心からの言葉です。今、ラインとかメールとか便利なものがございます。その女の子にメールをさせていただきました。そのメールを読ましていただきます。こんなメールをさせていただきました。


時間が過ぎても、何年経っても、お父さんがいなくなった辛さや寂しさは悲しさはなくならないと思う。だって家族でお父さんだったから、だから今はそのつらさや悲しさ寂しさを無理に無くそうとしないでください。余計に苦しくなるから、お父さんが亡くなって悲しいけれどお父さんは優しさも愛情も楽しいことも嬉しいこともあなたに与えてくれたことを忘れないでいて欲しいです。
姿はいなくなってしまったけれど、あなたを家族を思っているお父さんの気持ちは、ずっとずっとあなたと一緒にいるはずだから。決してお父さんはいなくなったんじゃないからね、あなたと一緒にいるんだから。きっとあなたが笑って生活することを一番お父さんは喜ぶと思うよ。どうか、そのことは覚えておいてほしいです。こうメールをさせていただきました。

 

それとしばらくしてこの女の子からメールが帰ってまいりました。こんなメールです
メールを読んで涙が止まらなくなりました。でも気持ちの良い涙でしたありがとう
ございますと。たとえ四十九日が終わっても、一周忌が終わっても、三回忌が終わっても、愛する大切なお父さんが亡くなった悲しみは無くなりはしません。人は世間一般に、日が経てば悲しみは薄れると言いますが、私はそれは嘘だと思っております。

日が経っても悲しみが失せれない、それどころか悲しみが増していくがやと、でも毎日が悲しいから、その悲しさに心が耐えられるようになっておるだけやと。悲しさが薄れたんでない、なくなったんでない毎日が悲しいからその悲しさに耐えられるようになっておるだけと。

 

でもこの女の子のメール、涙が止まらなくなりました、けれど悲しみの涙出ない、このメールには気持ちの良い涙でしたと書いてあった。じゃあこの女の子の気持ちの良い涙とは一体どいうことなのかそれは、この女の子が大好きなお父さんは亡くなったけれどもなくなってもなおかつこの私を心配してくれておるがやなと、ここに腑に落ちたからこそ、亡くなっても、なおかつ父親は私を愛してくれて居るがやと、そう腑に落ちたからこそ出てきた温かい涙やと、今、大切な人を亡くしてここに居る家族の方々、そして亡くなった方をこうやってお参りに来ておられる方々も、亡くなった方とは深い縁がある方々です。深い繋がりある方です。

 

どうぞ、そのつながりのある方一人一人が、亡くなってもなお且つこの友達を、娘を、家族を、息子を、妻を、夫を、親を思ってくれておるというその一点を、どうぞ忘れずにお参りしていただければありがたいと思っております。そしてそのことに気づいていくこと、そのことにうんと言っていけることこそがこの通夜葬儀にお参りしておる残った私たちの手を合わしていく姿だろうとどうぞどこか頭の隅においていただいて今晩の通夜、明日の葬儀をお参りしていただければありがたいと思っております。

 

それでは皆さんで正信偈を唱和いたしましょう。
これがお通夜の時に私のお話しして居る、よくお話する三つの話のうちの一つです。

これについて、別に解説も何も申しません。
それぞれの方がこの話から、それぞれ
いろんなことを感じていただければありがたいとそう思っております
今日は最後までお聴きいただきありがとうございます。

 

ここからは運営者の感想です

如何ですか、胸を詰まらせますよね。二十歳の娘さんのお気持ちを思うと堪りませんね。    和尚さんの話を聞き嬉しくて涙が出ましたと言うこの涙には、悲しみの涙ではなく気持ちの良い涙と言っています。 亡きお父さんを思えばこその気持ちの涙なんですよね。本当に亡き人を思う時はこのような心境になれるのではないかと    心からそう思いました。

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グリーフアドバイス運営者 深井

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