大切な人を亡くした辛さから私を救ってくれた意外なものたち 

大切な人を亡くした辛さから私を救ってくれた意外なものたち  miho nakano さんの動画より引用しています。

皆さんこんにちは
みほですいつも動画ご視聴くださりありがとうございます。この動画ではですね私が死別の反応からどういう風に抜けていったのか、まあこう抜けていく過程の中でどういうものが私を支えてくれたのか、みたいな話をしたいと思っています。
前回の動画で私が旦那を亡くしてこう自分の身とか心にどういう変化が起きたのか
とか、生活とか人間関係にどういう影響があったのかみたいな話をしています。


例えばこう気力体力がガクンと落ちたようですとか。あと新年度にも苦しんだ話ですとか、あとはめちゃくちゃゆるいですけどベジタリアンになった話とかもしています。
今日も3つほど話があるんですけど、一番自分の死別の反応から抜けるのに私を支えてくれたのは旦那本人でした。私は旦那が亡くなった後もよく彼の写真に向かって話しかけてたんですよね、例えば、おはよう、おやすみとかもそうですし、家を出るときとか、帰ってくる時はただいまですとか、あとはまあその出会ったこととか今悩んでいることとかとにかくあの声にしてよく彼に話しかけていました。


そうしているとですねなんか不思議なことなんですけど、彼からの返事がこう頭に浮かんだりですとか、あとは例えば私は今日は飲むからみたいなあのちょっと相談めいた話とかすると、あの彼の呆れた表情が頭に浮かんできたりですとか、生前はもちろんこう彼を見たりですとか、触れたりですとかまあそういう形で彼とつながっていたんですけど、彼を亡くした後はまあそういう風にこう彼によく、とにかくよく話しかけてでもそういうところからこう、彼との新しい繋がり方とかみたいなものが自分なりに生まれたと思っています。


毎日悲しむ中でも、ニュースとかを見るとウクライナの戦争で何百人が死んだですと、
あとは有名人の誰々が亡くなったですとか、まあそういう話に触れるわけじゃないですか、でもそういうニュースを見る時って自分は全くこう心が動かされなくって、なんか白状な自分に気づいたりとかしたんですよね。そうすると自分が今悲しいのって彼が特別だからなんだって、彼を愛してるからなんだって、そういうふうに気づいた瞬間があったんです。


自分の中にあるこう彼に対するこう愛にあの気づけたのが自分にとって一つ大きな
ターニングポイントだったのかなって思ってまして、で色々振り返ると旦那は病気でしたので最後はかなりこう身体的な苦しみっていうのもあって、じゃあ彼にとってその死っていうのは、そういう苦しみから解放されたっていう意味では悪いことばかりじゃないんだっていうふうに思いましたし、あとは逆に今彼が私を見てどう思うかなっていうふうに考えられるようになったんです。


その時に私は毎日あの暗い顔をしていたので、多分心配するだろうなってそれだったらちゃんと食べようとか、本当に、あの彼の存在とか彼との新しいこうつながり方とか、あとはまあ彼に対する気持ちですとか、そういったものが自分をこの1年間すごく支えてくれました。そういった意味では今だから強気で言えるんですけど本当に彼に対する愛が試された1年間だったなって思っています。


自分の欲としては1日でも多く彼に生きて欲しかったし、今でも生き返ってくれるんだったらもうそれは、私はものすごくあの嬉しいですけどでもこう彼のことを考えると必ずしもそういう形が一番いいとは限らない。まああの愛って相手の立場になるようなことじゃないですか、なので私はこれからも愛を貫いていこうという風に思っています。
次に私を死別の反応から抜けるのに助けてくれたものは自分です。

 

えって感じなんですけど、大切な人を亡くすと自分が自分じゃなくなるというか
もちろんこう身体的、精神的なところもそうなんですけど自分の人生観って言うんでしょうか、それまで自分が具体的に持っていた仕事に対する価値観ですとか、生活とか、こう人間関係に対する考え方も大きく揺らいでいくので本当それほど大きな変化なんだと思います。


大切な人をなくすことによって、一口に死別って言っても10人10色だと私は思ってまして、それこそ個人との関係性っていうのをそうですし、個人のこう亡くなり方っていうのもそうですし、あと元々自分の性格とか気質に左右されるところもあると思います。私が良かったことは、彼があらかじめ亡くなるっていうことを知っていたことだと思います。

 

なので彼との毎日を本当に大切にして過ごすことができました。
もう逆に近いうちに彼を失うっていう恐怖はもう凄まじいストレスがありましたし、
最後彼がちょっと苦しみながら息を引き取っていくのを見たのも、自分にとってあのトラウマになっています。いろんな死別の反応にあの苦しんでいると、自分が一体何に苦しんでいるのか?とか、どうしてほしいのかっていうのが自分が、一番わかってるんなっていう気づいたんですよ。

 

だからそこからですね、あの自分のことを正しくわかってあげられた時から、あのもう私は生きてるだけで十分なんだと、もう呼吸しているだけであの褒めてほしいっていう気分になりましたし、あのいたわってあげようとも思いましたし、なんかそういうふうにこう自分に優しく優しくしてあげる中で、今度は強さが生まれたと言いますか、この悲しみを抱えて私は幸せに生きていけるって、その力があるっていう風に心の底から信じられています。

 

3つ目はですね、あのもともと自分が好きだったものになります。私にとってはそれは自然だったりヨガだったり自然って言っても本当にあの家の外から見える景色ですとか近くの公園の緑ですとかその程度のものではあるんです。けど、お空を見上げてこうコロコロ変わる天気を見てると、あーなんかこの世の中に永遠ってどこにもないんだなーって、そういう風に気づかされたりですとか、あとはこう冬の間の枯れ木を見てると、本当に葉が着くのかなって、春になって着くのかなって、懐疑的になるんですけど、でも春になるとあのしっかりあの芽を出してきたりするので、なんかあのどんなに絶望的に思えたとしても、あの状況って変わっていくんだなって、なんか旦那をなくしてから自然から学ぶことがより一層多くなりました。

 

もう一つはやっぱりあのヨガですね。あの自分の仕事でもありライフワークでもあり、
普段表参道のスタジオで教えているんですけど、ヨガって私にとっては内省なんです。
なので自分のためにヨガをするときは、なんか今日は力んでるなーですとか、ちょっと疲れてるなーですとか、なんかそういう風に自分の状況に気づくヨガが他のスポーツと少し変わっているのはそういう内向きなところなんですよね。


自分の状態にそうやって気づいていくていうプロセスがあることを、ヨガは実践していくと自分をまるでこう他人かのように観察していくといいますか、自分と
距離ができるんですよね。でその精神的な距離感、自分との距離感っていうのは私は個人的にこう心の強さにつながっているものだと思ってまして、これもこう他人のように他人というとまあちょっと遠く感じてしまいますけど、まるで仲の良い友人のようにこう見守るですとか、気づいてあげる、わかってあげるというところがすごくヨガに支えられているところです。


はい今日はですね、私が死別の反応からどういうふうに抜けていたのかっていう話をしました。一番支えになったのは亡くなった旦那本人です。で次に自分自身、で最後にあの自分が元々好きだったもの、私にとっては自然とかヨガだよっていう話をしました。ま、でも最後の自分の好きなものって本当何でもいいと思うんですよね。あの最近気になってるのが筋トレとかピラティスとかでバキバキに体を鍛えて彼と再会するのを楽しみにしようかなとか、あとは逆にあのちょっと痩せてしまったので、食に走ってみてちょっと自分の存在感を高めて、天国で見つけ出しやすく話してあげないとなとか、そういうふうに彼との再会を急ぎはしないんですけど楽しみにしています。

 

こう死別からの悲しみとか苦しみっていうのは多かれ少なかれ残っていくし波もありますしね。もし最近大切な人を亡くした方がいらっしゃるとしたら一緒に抱え上手になっていけたらなって思います。私も頑張りますので一緒にマイペースに頑張っていきましょう。それではご視聴くださりありがとうございました。またねー

引用はここまでです。

 

如何ですか、大切な人を亡くした辛さから私を救ってくれた意外なものたちって、それはご主人であり、自分であり、ヨガだった訳ですね。私自身はヨガの経験はありませんが、一度ヨガをやって見たくなりました。 

グリーフアドバイス運営者 深井

グリーフアドバイス

https://griefadvice.com/brain/taisetu.html

のサイトではこの動画をリンクしています。

 

お時間がありましたら一度お立ち寄り下さい。