危篤臨終 最後の言葉  主人との死別の物語。危篤、臨終、最後の言葉。《肺がん闘病》から引用しました。

今回はユーチューブ動画

危篤臨終 最後の言葉  主人との死別の物語。危篤、臨終、最後の言葉。《肺がん闘病》から引用し、音声ファイルからテキストファイルに変換しました

 

引用ここから

はいっ前回はですね

あのすっごく主人が苦しんでいて、もうその帰りのエレベーターの中でもうたまらなくて、泣いて神様に本当にもう主人がこれ以上苦しみがずっと続くんだったら、もう天国の方にね、あの逝かせて上げて下さいって。もちろん、あの別れるのはすごく悲しいんですけど、私がねあの寂しいからといってずっとあの地獄の状況を、あのずーっと長、あのそれをね続けさせるって事はもうとてもできなかったので、まあそういうふうに神様にお願いしたという話をしました。

 

それで家に帰って二階でですね、あの娘と寝ていて、夜中に階段が、上がって来る音がしてで、母がドアーをねトントンって叩いて電話がかかってるよっていうことで病院からだよっていうことだったんですよねえっ私はまあその時に、えって思ったんですけ、無意識にあのダメなのかなダメだったのかなとかも思ったんですけど、でもまあその反面何かなっていう、まあ単純にあんなんだろうっても思ったんですよね。ちょうどその半々ぐらいの気持ちで電話に出たんですけど、そしたらまあ危篤状態ですのですぐ来てくださいということだったんです。

 

電話で危篤って言われて、ああそうなんだっていう感じでしたね。もうなんかものすごい、その時はショックとか、ええっていうことがもうなくて、やっぱりあれだけの苦しみを見てたので、ああなんかもう神様がね、ほんとに何か私の願いを聞いてくれたのかなあっても思って、その時はただもう無に近かったですかね。なんかもうあっ終わったんだなあって、やっぱり危篤っていうことはイコールね、もうすぐねもう亡くなっちゃうってことじゃないですか。そこからまた何か息をね吹き替えすって言った、まあ回復に向かうってことはめったにないのでああやっぱり危篤ということは、まああの苦しみからね、あの抜けることが今できてるんだな主人はっていうことで、安堵の気持ちの方がねあのかなりあったんじゃないかなと思います。


そのまんま、まあ娘のことを母に頼んで、ちょっとタクシーに乗って行ってくるからってということで、あのタクシーを拾って病院に向かったんですが、まあそのタクシーの
中もですね、まぁイラストみたいな感じでまあ無表情っていうかって言うなんていうんですかね。ああもう終わったのかなぁって終わったんだなあっていうことですよね。それで心からね神様に感謝しました。まあ、本当に何か願いをね考えてくださってありがとうございますということで、あの苦しみからね、本当にね主人をね救ってくださったんですねということでした。

 

私、別にあの何かの宗教に入ってるとかじゃなくて、まただ単純に神様っていうことですよね、ほんと神様っていう感じでした。そして病室に入りましたら、主人がですね、まあ横に成ってて、もう目を閉じて、でまあね、あの死ぬ間際の人たちがね、やるような本当にねまぁ呼吸がちょっと大きい呼吸ですよね。はぁ~、はぁ~ってすっごく大きな呼吸をしていて、でもこう目は閉じていて、全く意識がないような感じですよね。もうないんですよ意識は。意識はなくてただずっと大きな呼吸をハァハァしててそうすると体がこうね、呼吸でこう膨らんだり、またこう下になったりって言う、そう言う動きをしてました。

 

で、私はですね、もうは楽になったんだね、良かったねって言うことでね、まぁ心の中であの話し掛けて、で主人の手をですね、あの布団から出してで、また腕まくりをしたままだったんですよね主人が。だからその腕をね、ずうっとこうねあのさすってあげてました。で左手で手をつないで、手の右で腕をさすって,良かったねってでもう楽になったんだねぇということで、本当におつかれさまでしたみたいな本当に今までありがとうねーみたいな感じで、なんかちょっと今話しているとウルっときたんで、ちょっと声もガラガラ声になっちゃって聞き取りづらいかと思うんですが、本当にそういうことでねずっとねあの話し掛けてましたね。


なんかのテレビか何かであの耳だけはまだ聞こえてるみたいなね、そういう情報も
なんかチラホラあったような気がしたんで、まぁ聞こえてくれてたらいいなーということで、まだあの主人がね、両親も来てなかったんで私だけだったし、でもちっちゃな声ですよ、他の方が寝てらっしゃるのでね、大部屋のままだったんでだから小さい声で囁いてました。でずっと手をねえあの、これでさっすてるんですけど、なんかやっぱ懐かしいというか改めてあーこの手でね、私をギュッとしてくれたりとか、あといろいろ仕事をしてくれたりとか、娘をねだっこうしてくれたりとか、まあそういうふうにしてくれた腕なんだなーっていうことでね、なんかそのちょっとした毛の生え方とかね、まぁ懐かしいなーみたいな。


改めてね、こうい腕だって言うなあっていうことで、最後にこのね体というか腕
をね、ちゃんとこうしっかりの覚えておこうということで、ずっとあのなぜましたね。
それで、まぁしばらくしたらあの主人の両親が来ました。
でまぁそこまでの私とは話すこともなく、まぁちょっとあの主人の様子を見たりとかして、またベッドのちょっとこう足元の方でずっと立ってる感じで、ちょっとね時間をずっとかかったんです。結構ずっとね朝方まであの時間があったので、まあずっとそこにいるって訳じゃなく、まぁちょっとあの出たりとかねしてまた戻ってきたりとかされていて私はずっとね主人の手をずっと握ってさすって、あのずっと話しかけてました。


で朝方にですね、あのまぁ心電図が緩やかになってきて、まぁ起伏がなくなってきて
ああもういよいよなのかなぁという感じになってきて、まぁ担当医の先生と看護師さんが来られて、でずーっと様子をみてたんですね。最後の方で心電図が本当にゼロになってピーっていう感じですね、もうドラマとか映画で見るようなまさにアレだったんですよ。で本当にもう心臓が止まってしまって、であのまた脈とかねあの瞳孔を見たりとか、あのお医者さんがされてって、はいっていう感じでしたね。あっもう終わりましたねっていうような感じのあの仕草をお医者さんがされて、で私とあの主人の両親の方に礼をね1回礼をしてご臨終ですって言われました。


それでご臨終ですといった時に時間を言いますよね、何時何分ご臨終ですって言いますけどまさに私の誕生日だったんですよ。
何時何分って、そのひと桁たのがまさに私の誕生日ぴったしで、えって思ったんですよね。私その時。だってあのそのほんの数秒、例えば10秒とかずれてて、1分違ったりとかするじゃないですか、それがぴったり同じ数字っていうのがなんかビックリして、えええでもそれもねまたねーなんかこう後付っていうかね、なんかこうね私のなんか自分なりの考えだと思うんですよ。偶然なのかもしれないんですけどもそれでもねやっぱりね嬉しいじゃないですか、なんか私の誕生日にね息を引き取るっていうことで何かそれ主人のね何かしらがあるのかなあって、も勝手に思ってねまぁそれぐらいに思わせてくださいってことだったんですよ。


ですごくね嬉しかったそれは嬉しかったなっていうことで、でもう死んじゃったんだなって、もう息が止まったんだっていう、なんかも主人がいなくなったっても体はここに目の前にあるんですけど、もう息もしてなくて心臓も止まって居なくなったな死んじゃったんだなって思ったんですけど、そこでものすごくだーっと泣くとかなかったんで。よくね、ドラマとかではワーっと泣きますよね、どうして、どうして見たいな臨終ですって言われたら、あんな風に泣けないんですよ。本当に悲しい時とかまあ悲しいっていうか私の場合はまぁ主人がねあれだけ苦しんでたんで、でも良かったっていう気持ちがやっぱりすごくあったんですよね。


あの苦しみをずっとに味あわせるんだったらもうね生きてなくていいよ、もう辛いよねっていうね、だからやっぱりね、あの本当に安らかにね、今はねあの眠っているように見えたんだ良かったなぁって、まあそういう気持ちだったんでものすごく泣くとかその時は無かったんですよね。それであの主人のねご両親の方は一旦帰るということでお通夜とかがありますのでねその準備に取り掛かるということだったんですよ。私もあの看護師さんにも一旦帰られて下さいと言うことだったので、帰ろうとしたんですがノートに預けてましたよね、だからそのノートをその棚の引き出しから持って帰ろうと思ってこう開けたんですけど、何か書いてるかなぁってね何か書いてても一言でもいいからね、何かしら私とか私じゃなくても、娘に対してでもいいからなんか言葉がないかなと思って広げたんですが、そこにですね、あの文字だったんですよ、パットねだからなんか書いてくれてとってもすっごく嬉しかったんですけど、よく見たらあの主人のお母さんに当ててのあの言葉だったんですよね。


でもそれがなんかこうね自分がもうすぐ死ぬからどうのっていうこのなんていうのか残す言葉ということじゃないんですよ。ただ棚のここの奴がこうあるアレだからこうしておいてほしいとかね、まぁ何かそれがおかあさんが持ってきてくれてたものに対してのものだったんで、私が何か持ってきて得たものに対してじゃなかったんで、あお母さんに何かこれをに言いたかったんだなっていう内容だったんですよね。だからお母さんに何か、お世話になったとか何か何かそういう感じのねありがとうとかそういう言葉を書いてたわけじゃないんだけども、まぁでも私にも何もなかったんだということで、その時がショックだったんですよ。ショックっていうかねあー何か書いてくれてなかったかなあっていうまぁ残念だなーっていう気持ちでした。


それでまぁノートもね、もう一応ね持って帰るということでタクシーに乗ったんですが
その時にですねハッとねー思いついた事があったんですよでその昨日ですね、前日に、ものすごくあの苦しんでましたよね苦しんでて、でも本当に私もね、でも帰らなきゃいけない時間が来て看護師さんにも帰っていいですと言われた時に、ごめんねでも苦しいよねぇてでもね帰らなきゃいけないからね明日また絶対来るからっていうことを言ったんですよ、そしたら主人がいつもはいつもの主人だったら、あーいいよ、いいよ、もう帰っていいよとかね、もう言ってたんです。もう俺の事を気にしないでいいから、も早くね娘ね、娘の名前を言ってなんとかのどこに書いてあげてって、言ってまた明日でいいかなぁ見たいなことだったんですよ。それがその前日のあの苦しんでた時はですね、え、もう帰るのって言ったんですよ。でもうちょっとだけ居てって言ったんですよ。
もうちょっとでいいから、苦しみながらですよ、苦しみながらもうちょっとだけ居てって言ったんですよね。だから私はその言葉で、うん、解ったってもうちょっと居たんですよ。


でもう少し居ました。で、居たんですけども、夜になったんでもうねあの病院もねそんな長くあの介護とか看護は入らないということだったんで、もう帰る時間になっその後帰ったわけなんですよね。でエレベーターの中であえて神様にお願いしたんですけど、のときに初めてそれでね、帰らないで、で、もうちょっと居てって言ったんですよねなんかその言葉をそのね、その亡くなった後そのタクシーの中で思い出して、あーなんか一番最後の日、最後の日じゃないですか、最後の日だからもうちょっとそばに居ていって言ったのかなと、まぁそれもね、でまた私のこじつけなのかもしれないんですよすべてがねこじつけかもしれませんけど、でも私は夫婦としてなんかそう言うね何かをちょっと感じたんですよね。で、まぁ臨終の顔を思い出しながら、あ~もうそう思ったのかなぁと思いました。

 

はいっていうことで、まぁの危篤の状態からまああの臨終ということまで、であの言葉とかねあのそういうことについてお話ししました。ではこれからもまだもうちょっと続きますのでぜひ聴いてくださいではありがとうございました。

引用ここまで

 

如何でしたか、ご主人の臨終時間と奥様の誕生日の時間が、全くの一致なんて本当に信じられないような偶然ですね。それも一秒たりとも変わらないなんて凄いです。

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 グリーフアドバイス運営者 深井