祈りの力の使い方。正しく使えばすごい…!辻耀子 (つじようこ)さん NPO日本レイキ協会 

今回はユーチューブ動画の辻燿子さんの祈りの力を私が文字起こしした

テキストファイルを公開します。

 

辻耀子 (つじようこ)さん NPO日本レイキ協会 
祈りの力の使い方。正しく使えばすごい…!

 

ここから動画からの文字起こしです

私から伝えたいことをいくつかありますが、まず一つ目はねぇ
我々人間が持つ祈りの気持ち、祈りの気持ちの持つパワー、これです。
これ凄まじいパワーを持っています。まずね、祈りの気持ち、これね、
意識ですよね。意識して祈りを意図するわけですから。
意識の正体はね、電磁波です。電磁波って聞くとね、高圧電線とか、
電子レンジとか、なんか有害物質見たいな感じる人いるかもしれないけど
意識の電磁波は、有害ではないし、有害じゃ無い電磁波って山ほどあります。

そしてね、この意識の電磁波は、光と同じ速度で飛ぶんですよ。
で時空を越えて、届いて、作用します。これねえ、だんだんだんだんね、
量子物理学の世界になってきてるんです。だから変易で言うと遠隔
ヒーリング。そんなんまじないちゃうのまやかしやろ。昔の私はそう思い
ましたが、すごいね21世紀、だんだんだんだん科学でこれが解明され
つつある。はい、まぁこの辺はね、オタクな人はね、素粒子とか
いろいろ量子力学を勉強してみてください。 

 

最後に祈りについての落とし穴をしゃべって
終わりたいと思います。あのね祈るとよく似た言葉ねー
拝むって言葉があるんですね。拝むっていうのは神や聖なるものを
こう、仰ぎ見る様なそのような、意味合いの言葉ですが。
私はあえて自分流にオリジナルに、この祈ると拝むを
意味合いを変えて解釈しています。

 

今からいう話は、私のオリジナルなんで本来の拝む意味は違います。
が、祈るって言うのは、静かに心を穏やかにして、えーその人の
存在が幸せにありますように、その人が今日も生きて、ここに存在しておら
れることをお慶び申し上げます。寿ぎの感覚です。
が、例えば私に、ひどい仕事が三つも四つも、重なって試練のど真ん中に
いる時、し~ってなってたのね。
もうだめだ、もうちょっと神社にお参りに行こう。
とてた時は、これはもうね祈るが難しいわけですよ。
お願いします、お願いします、どうか神様助けて下さいよ。
お願いします。今日はちょっと賽銭張り切ってお札入れますから見たいな
これ本来の拝むの意味から大分それてるんですけど。
ちょっと分かりやすいように、祈ると拝むは違うよって、ん、あの祈って下さいねって言ったら、祈るのは、これやっちゃう人がいるんです。


この時心の中ってどうなっているのかって言うとうね、まず、
不安、心配、恐れで満ち足りてます。

もう冷静じゃないです、気の重心は上の方に上がって、バランスは
目茶崩れています。で、とにかくすがってる感じですよね。
何とかして下さい、助けてください、このね、不安心配の周波数ってね
祈りの周波数と全然違う。これをね、相手のためにやってもね
ん、相手のね治るぞ、治りたいどと共振共鳴しない。
うん、相手の体にいい影響を与えない。愛なんですけどね、
だって、相手に良くなってもらいたいと思っても、なので愛から来ているから
心配もすごく尊い感情です。そしてね、大事な人だったら、心配せずにいられない
から、こう言う気持ちが湧いちゃうのもしょうがないんです。けれども、
今から祈るぞと思った時だけ、ちょっと、この心配を横に置きましょ。
そして、ちょっとに三回細ーく長い深呼吸、特に吐く息長くして、
呼吸数を落として行くんです。気の重心が下がって来ます。

 

細く長い呼吸をして、吐く息を長くして、呼吸数を落としていい感じです。気の重心が次第に下がっていきます。理想は丹田、もしくはそれよりも下、下半身に中心を下ろして、そしたら静かに手を合わせても、合わせなくてもどちらでもいいです。そして、その人の病気にフォーカスさせないで下さい。病気は、その人が今日着ている服位の感じ、その奥にあるその人の存在、その魂って言ってもいいなぁ、こっちにフォーカスします。そして、魂に、あなたは幸せで、ここち良い状態でありますように。あなたが本来の、とてもいい状態に戻りますように。そして、あなたが、今日、ここに存在しておられることを、お慶び申し上げます。


あなた自身が、心地いい感覚を味わいながら、あったかさを感じながら、
その人と出会えたこと、ご縁がある事、その人を大切だなぁって思えること、
大切だと思える存在が言うこと、このことをありがたいなぁ、心地いいなーって
味わって下さい。そして、その人の病気のことも全部横へ置いて、イメージの中で
二人で、まあ、手を繋いでもいいですし、心地よさを味わってください。
二人で気持ちいい温泉とかに浸かっているとかね、なんか一緒にめっちゃ
楽しく遊んでるとか、くつろいでるとか、お酒が好きな人だったら、お酒酌み交わして
いるとか、ぽっかぽっかの暖かい野原、あるいは山頂、
雲の上に乗ってもいいし、なんか綺麗な夜空満月、どんなイメージでもいいです。


心地よくて、温かくて、ほっとできる。そして、そんな時間を遠く離れているその人と、イメージの中に味わう、これです。これが祈りです。この時も、この周波数、
すごく理想的な周波数。感謝も同じ位いい周波数です。
こんな感じでやってみて下さい。そしてもう、なんだったらその人が、その病気の服を
着替えて、本来のその人の大好きな色の、お気に入りの服にチェンジ!
これもイメージの中なんでね、瞬時にできますねー。
そんな感じでやってあげて下さい。時間はねえ、そうだな。
うまくいけたなぁ、心地よかったなんていう感じだったら1~2分でもいいし、
しばらく心地よさを味わいたいなぁと思ったらね、20分以上やってあげると
とってもいいです。


そして朝晩2回ずつぐらい、小まめに、ちょこちょこやってあげるとっても良いです。
そしたらね、さっき言ったように自然治癒力もエンジンぶるるんって掛かって
しばらく持つ、でもねチューって止まっちゃう。
でも止まって、またしばらくしたら、また祈って上げて、
それによって、また良い周波数の共鳴を起こして、エンジンが掛かるよ。
こんな感じです。
ぜひやってあげて下さい。それからね、もし話せそうだったら通話してね、
なんか、ここちいい時間を一緒に過ごす。それもとっても良いと思います。


声、声にも周波数が乗りますからね。落ち込んでる友達がいる。
でもなんか大丈夫って電話するのも何だしなぁって、言う時に
ちょっと祈ってあげようかな。
あとね、そうだ、そうだ、亡くなって人、亡くなってる人にもぜひ祈りを。
すごいですよ、こちら側にいる人の、亡くなった人への祈りエネルギーを
送ってあげた時の、そのすごさ。本当にバカにならない。
特にねー、あの人はちゃんと成仏できているかしら、苦しいとこに居ないかしら、
心配って思う人、もしそういう気がかりな人がいたらね、祈って上げて下さい。


拝むんじゃなく祈るんですよ。
相手の人からね、心地よさが逆にね、届くのをの感じられるかもしれませんよ。
結構ねー、亡くなった人、亡くなってもね、意識は有り続けるんでねぇ。
祝福とか、応援とかね、すごい光るをね、恩恵をいつも注いでくれています。
逆にそれを感じるかもしれませんね。はい、じゃあ今日はこんなお話でした。
いかがでしたか?ちょっとね気分がほっこりしたり、軽やかになってもらえたら嬉しいな。そしてね、あなたの意識の力ってね、あなたが思ってるより相当とバカに出来ないから意識の使い方ってちょっとコツがいるんですけどね。うん、でもね、コツ掴んだら本当に便利です。こっからのね時代のね、風の時代でもあるけれども、
意識の時代ともいえるでしょうね。

 

(ここから字幕です)
今から大切な事を伝えます。それは亡くなった方への祈りの威力です。
ためしに、ご先祖、ご家族、大切だったかた、どなたか選んで静かに
祈って見て下さい。亡くなってもたましいは在り続けていますので、
うまく繋がり共振できたら、あちら側からあなたへと注がれてくる
祝福や応援を感じる事が可能です。それは暖かさに包まれる感覚です。
もうひとつ同時に起こるすごい事にも気付いて下さい。
こちら側にいるあなたの祈りによって、あちら側の存在がさらに
軽やかさを増すのです。つまり循環が起こるのです。
祝福と恩恵の贈りあい・交流です。私はこの事に気付いた時に
あちら側と、こちら側は祈りによって清め合える事を知ったのです。
(字幕ここまで)

楽しんでいきましょう!
今、不安な人、エアーでゆる~く私と良かったら繋がって行って下さい。
手を繋いで置きましょう。一人じゃないです、そしてね、変わらない明日でもないです。必ず変わります、だから大丈夫!いつも応援して下さってる方、本当にうれしいです。ありがとうございます、あなたと、こうやってご縁を持ててね。本当にうれしいです。じゃあ!また、次の動画でお会いしましょう。さようなら、またね。

ここからは運営者の感想です。

如何ですか、この動画をぜひ、見て欲しいと思います。辻燿子さんの、やさしい語り

口も癒されますが、本当に祈りの効果を感じる動画です。

私のサイト

griefadvice.com

のサイトにユーチューブ動画へのリンクを貼っていますので、ぜひ、ご覧下さい。

死別 その苦しみには終わりがあります

今回はユーチューブ動画の

死別 その苦しみには終わりがあります
より文字起こしでお届けします


魂が成長するクリフケアセラピーを行っているグリフケアカウンセラーのあやです。

LINEに友達追加をしていただいた方へ、死別を早く乗り越える人と、
そうでない人との違いについて、詳しく解説した動画をプレゼント
しています。
ぜひ、友達追加をして動画のプレゼントをお受け取りください。
今回の動画では、死別の経験による途方もない苦しみでも、
必ず終わりが有るという事について、私自身の経験を基にお話しして
行きたいと思います。ぜひ最後までご覧ください。

私は夫をガンで亡くしているんですけれども、死別の経験というのは、
それまでの人生で経験したことがないほどの、とてつもない苦しみでした。
立ち直った今でも、もう二度と同じ経験はしたくないという気持ちは
変わりません。
流れる涙は血の涙のようだと感じるほど、只々苦しみで一杯でした。
全世界が色褪せて、何を見ても、悲しく白けて居て、生きること自体が
只々、罰ゲームのように感じて、全く生きる意味を見出せないと感じる
ほどの悲壮感で、一杯でした。


どんな言葉も、その時の気持ちを完璧には表現することが出来ないと感じ
るほど、果てしない悲しみを感じていました。
生きるということが、只そのまま苦痛でしかないと感じていたので、
残りの人生をどうやり過ごすか、ということばかり考えていました。
そんな状態の中、立ち直って穏やかに暮らせる日々が来るとはとても
思えませんでした。あまりにその苦しみが大きかったので、そこから真剣
に死別の苦しみから抜け出す方法を探り始めました。

必ず乗り越える方法があるはずだと信じていろいろなことを試しました。
心理セラピーや、苦しみを手放すワークなど、効果がありそうだと思える
ことはどんなことも試してみました。そのような努力の甲斐があって、
死別から約1年と8ヶ月ほどでやっと死別の苦しみを乗り越えたと思える
境地に達することができました。

私が現在行っている魂が成長するグリーフケアセラピーの中で、皆さんに
実践していただいているワークやセラピーなどは、当時の私自身は全く知
らなかったことなので、もしも当時の私が死別直後からそれを行うことが
できていたらもっと早く乗り越えられていたことと思います。
このように乗り越えたと思える境地に達した後は、私がそれまで強く感じ
ていた、悲しみや罪悪感が完全に消えてしまったのかというと、全くそう
いうことではありません。

悲しみや罪悪感がふと湧いてくることは今でもあります。ですが、そこに
は苦しみがないというところが、死別を乗り越える前との大きな違いにな
ります。死別を経験した方の多くは、死別による悲しみや寂しさが消える
ことは絶対にないだろうと感じて、絶望していると思うのですが、確かに
それらのネガティブな感情は完全に消え去るものではありません。ですが
、そもそもそれを消し去る必要はないんですね。

悲しみや、寂しさや、罪悪感のようなネガティブな感情が湧いてきても、
そこに苦しみを感じなくなってしまいさえすれば、そこには全く何の問題
もないからなんですね。私たちが実はどうにか逃れたいと感じているもの
は悲しみそのものではなくて、悲しみと呼ばれるようなネガティブな感情
とともに感じている、苦しみの方なんですね。その苦しい感覚というのは
ネガティブな感情を受け入れるという段階に達した時には、必ず消えてい
きます。苦しみがあるのに苦しくないという境地に達することができると
いうことなんですね。その時悲しみを感じながらも、同時に個人への愛や
感謝で満たされるという感覚を感じることさえできます。

これは私にできて、他の人にはできないということではなくて、誰にでも
できることです。その方法というのは簡単に言うと、ネガティブと呼ばれ
る感情を、なんとかコントロールしたり、抑え込もうとするのではなくて
、それらをあるがまま、そのまま認めていくということになります。そし
て、このような方法というのは、すでに出している他の動画の中でもお話
ししていますし、これからも様々な角度からお話ししていきたいと思いま
す。ぜひ、繰り返し動画をご覧いただければと思います。

私が皆さんにお話ししている、死別を乗り越える実践というのは、皆さん
の今までのあり方と、反対のあり方へをシフトさせていくような内容にな
るので、一度話を聞いて頭でわかったと理解したとしても、実は本当には
理解できていないことがほとんどです。ですのでぜひ、繰り返し動画をご
覧いただければと思います。私が行っている魂が成長するグリーフケア
ラピーでは、最速で死別の苦しみを乗り越えていくために、苦しみを手放
していく簡単なワークの実践や、イメージセラピーを通して最速で死別の
苦しみを乗り越えていくサポートを行っています。たった数ヶ月で当初と
は比べ物にならないくらい軽くなったというお声をたくさんいただいてい
ます。早く死別を乗り越えていきたいと考えていらっしゃる方は、ぜひお
試しカウンセリングにお申し込みください。


如何ですか、やはりがんでご主人を亡くされたんですね。 私も当時の事が走馬灯のように頭を巡りました。あの辛い闘病生活から死別までの辛い感情が蘇ってきました。 でも、このあやさんは本当に精神的に辛い時に、そこから真剣に死別の苦しみから抜け出す方法を探り始めたのですから、本当に 凄いの一言です。皆さんは如何ですか?

griefadvice.com

のサイトでは、このユーチューブ動画へのリンクも貼っています。
ぜひ、一度お立ち寄り下さい。

ChatGPT(チャットジピィティ)のグリーフアドバイスを 取り上げました。

最近評判になっているChatGPT(チャットジピィティ)のグリーフアドバイス
取り上げました。ChatGPTはAIが答えるチャットシステムですが、私はこのChatGPTにこう質問しました。(愛する人を亡くし寂しい時は、どうすればいいのですか?)
不謹慎だとは考えないで下さいね。

私が考えたのは人間の喪失の悲しみをAIがどのように答えてくれるかと思ったからです。これからの時代はAIを抜きには語れませんよね。そのAIに人間の考えとは異質のどのような答えがでるか、また、AIの答えの中に参考になる答えが導き出せるのかと考えるからです。

では、そのAIの答えをご覧下さい。

ここよりAIの回答です。

愛する人を亡くすという経験は非常につらく、寂しい気持ちに襲われることは自然なことです。このようなときは、以下のような方法を試してみることで心のケアを行うことができます。

悲しみを受け入れる:悲しみや寂しさは自然な感情であり、それを感じることを否定せず、受け入れることが大切です。感情を抑え込むのではなく、自分の心に素直に向き合いましょう。


サポートを求める:一人で悲しみを抱え込まないようにしましょう。家族や友人、信頼できる人に対話を求めることで、気持ちを分かち合うことができます。


儀式や追悼の場を持つ:故人への思い出を共有し、追悼の場を持つことで、心の整理をすることができます。故人への感謝の気持ちを形にすることで、穏やかな気持ちになることができるかもしれません。


自分を大切にする:悲しみの中でも、自分自身を大切にすることが大切です。適度な休息をとったり、好きなことに時間を割いたりすることで、心身のバランスを保つことができます。


専門家のサポートを受ける:悲しみが長期間続く場合は、心理カウンセリングやサポートグループに参加することを考えてみてください。専門家の助けを借りることで、感情を整理する手助けをしてもらえるかもしれません。


日記を書く:感情を整理するために、日記を書くことを試してみてもいいでしょう。自分の気持ちや思いを文字にすることで、気持ちを整理することができます。


新たな興味や趣味を見つける:少しずつ新たな興味や趣味を見つけることで、気分転換を図ることができます。新しい活動に取り組むことで、心に活力を与えることができるかもしれません。
悲しみを癒す過程は個人によって異なります。自分に合った方法を見つけ、少しずつ前に進むことを大切にしてください。時間をかけて心の傷を癒し、故人をいつまでも心に大切にし続けていくことが大切です。

AIの回答はここまで


如何でしたか、人間の答えと全く変わらないですよね。当然と言えば当然かもしれません。なぜならAIと言ってもデータの収集はインターネットの世界からAIがデータを集めるだけですから。当然ですよね。

2032年5月15日で7年目の命日を迎えました

早いもので、逝去してから7年目を迎えました。7年目を迎えるまでに何度、亡き妻への後悔と懺悔の    気持ちを抱いたかは本当に数え切れません。中でも後悔は本当にあの辛い看病の日々の時に、只、看病していた    だけの日々を今は後悔しています。今、もし、あの看病の日の最中ならば私はきっと妻のベッドの側に一日だけでも    添い寝してやれば良かったとの気持ちで一杯です。当時、考えもしなかった気持ちです。病床で毎日床に伏していた    妻の気持ちを、本の少しでも癒やしてやる事が出来たのではないかと思われてなりません。只、毎日24時間同じ病室    で看病はしていましたが、もっと彼女の気持ちに添ってやれば良かったとの後悔が残ります。今、何らかの事情で私と
    同じような看病されている方がいらしゃれば、ぜひ一度で良いので添い寝してあげれば本当に喜ばれるのではないかと  思います。

グリースアドバイス運営者 深井

 

うつ病の自分との向き合い方  大寓和尚

今日はユーチューブ動画から大寓和尚の相談サイトから

うつ病の自分との向き合い方」を文字起こししました。

うつ病になってしまった自分は情けないというお悩みです。23歳の女性、システムエンジニアをされているということですね。いろいろとうつ病になってしまったというきっかけが、この人は入社一年めいらしいですね。大学を卒業して、新卒で、そのまま会社に入って、まだ1年目。上司との関係、同期との関係、それから自分の体調管理不足
そういったものが重なって胃が痛い、頭が痛い、お腹が痛いと言うことが日常化してしまって,食欲が減って、生理が不順になって見かねた親御さんが心療内科へ一緒に連れて行ってくれてそれで、病院の方でうつ病というふうに診断をされて、そして、先生の方からは「仕事を休みなさい」と「休職しなさい」というふうにして言われた。


けれども、やはり、周りの友達は大学を出たばっかりで,あるいは高校なのかなぁわかりませんけれども、新卒で入って、就職して頑張っている。まだ1年目なのにそれが情けないという。そいう気持ちもある。仕事でいろいろと上司の問題とか、いろいろとあったんにせよね、トラブルがあったにせよ、1年目で、まだ就職したばっかりで、うつ病になって、やめるっていうそういう自分の根性のないようなことをしたくないという、そういうのもある。


お医者さんは「休職しなさい」と、「休みなさい」と言うけれど、さっき言ったように、周りの目もあるし、もし休職してしまって、そいうことで精神的に悩んで休職しますと、どう書くかはわかりませんけどそれなりの理由を提出しなきゃいけないですね。会社の方に。それで提出をして、あるい一定期間を休むと、それでまた復職をするということが恐らくできないんじゃないか、そう考えていくと、もちろん自分体調が悪いし、鬱になってしまったという、自分も情けないし、お医者さんが「休め」という気持ちもわかるし、でも、やはり、逃げている自分も嫌だしそれから、また就職できるかどうか分からないしどうしていいかわからないという状態ですね。


そんなことでのお悩みなんですけれど、まずこの人の問題点というのはちょっと合えてあげて見たいと思います。やはり鬱になる人って非常に真面目だったりとか、すごく周りのことを気遣う悪い言い方すれば、気にする。そういう状況にあります。逆に何も気にしない人とか、何も周りに気を使わないというタイプの人。そんな楽なことがあったらいいですけど、結構私も気遣いなので、いろいろ気にしてしまうことがあります。自分のレベルでですよ。


けど、やはり、気にするっていうのも一つの能力なんですよね。でも、そこがあまりセンサーが過敏だと当然ちょっとしたことですぐ反応してしまうということになれば、それは生活しずらいので、できる限りそういった状況を、じゃない風にしたいなと思うわけですね、まさか多くの人が自分がね、鬱になるなんてことを考えもしないで、頑張れる人間だと思ってて鬱になっちゃう。

例えば学生時代にスポーツなんかで全国大会に行ったりとか、ものすごい根性を見せてた人でも、環境が変わって就職したら鬱になっちゃう人がいるので、必ずしもある分野でがんばってて、すごい根性があった。でもそれは違う分野に行ったら通用するかどうかというのはわからなのですね。こういった問題は、今本当に心理的な鬱の問題と言うのは日本では増え続けています。


一つは、本人の問題というのもあるでしょう。やっぱり体力が人によって違うように精神力も人によって違うわけですよ。生まれ持ってるのもあるし、育った家庭環境というのもあるし、社会全体が非常に鬱になりやすいっていうようなそういった環境であるということが問題かなと思います。それは悪い社会になった、ストレスも多い社会になったということではなくて、社会の問題というのはストレスに弱い人間を育ててしまう社会になっているということです。

 

過剰なサービス、過剰な保護というものは、知らず知らずのうちに自分ではそんなつもりはなくても、小さいうちに病気に対する免疫力というものは育たない例えば、除菌除菌ということはブームになって、何でも除菌して、何でも不潔なものを、清潔なものを、ということをやり過ぎてしまうと体が抵抗力はなくなって、菌に対する抵抗という物は育たなくて作られなくて、それで大きな病気にボンとかかってしまいやすいというのこともあります。

 

それと同じように心に在する免疫ってものは小さい時から蓄積するような環境が、それを作り出すような環境がなければ、やはり自分も大丈夫と思ってて、ポンと大きなきっかけで、むしろ大きなきっかけ、ちっちゃなきっかけで簡単に鬱になってしまう。そういう社会科学背景というのもありますねですから問題はこの人の問題というのも確かにあると思うんですけど社会に対しての問題、社会の問題というのもあると思います。でも、そういっても仕方がないのでこの方が何とか再生したい、頑張りたいという気持ちがあるのであればやはり何とかしたいですよね。

 

で、私がこの中でも問題、今お悩みを聞く限りで問題だなぁと思うのは、この方結構、まだ元気だなぁと、鬱って言ってもそこまでものすごくひどい状態にはなっていないです。自己分析もできているし体調に異変が現れているとはいえ、ただですね、今言った心と体というのは繋がっているので頭痛がしてしまう、腹痛がしてしまう、それからずっと生理不順が続いしまう明らかに体に変調が出てきているので、心と身体っていうものはやっぱり密接なんです。

 

最初心が悩んで、体がに影響が出てきたにしても身体が病みすぎると心が元気になっていく土壌を失ってしまっている状態なので、身体が心配です、心も心配です。ですから、体力が落ちて、身体の抵抗力が落ちて睡眠不足になって、身体がいつも調子悪いと状態で元気になれって言うのは難しいんです。優先順位としては、心を優先するっていう事よりも、身体を優先して体力を回復していかないと、心の病って言うのはどんどん低迷していってしまうので、問題点はそこですよね。


鬱を何とかしようって、その前に身体が病んできてるって事が一つの大きな問題になってるので、そこをちょっと指摘をしておかなければいけないと思います。その上で処方箋なんですけれど、普通一般的に、鬱の人対して頑張れって言うのは禁句ですよね。
それは言ってはいけない事なんです。ただ、私はいつも鬱の人に対して言うんですけど、頑張るっていう言葉の定義って曖昧ですが、本人が頑張りたいって思うんだったら頑張れば良いと思います。


周りがお前頑張れよって、ハッパを掛けるという意味じゃなくて、自分が負けたくないって気持ちがある逃げたくないって気持ちがあるんだったら逃げたくないっていう気持ちに添って行動してみるとか何かアクションを起こせるっていう手伝いを周りがするってのは悪い事ではないと思ってます。


ただ、やっぱり腹痛が出る、腰痛が出る胃が痛い、腸ですね、腸が大腸性過敏の様な状態になってしまうとか,頭痛が酷いとか、そういったことがですね、もう自分の意識でコントルールできないっていう状態にまで追い込まれているのであれば、やっぱり休息は必要です。自分で自分の身体をコントロールできないっていう状態ですからですから、自分を守るために、自分を守るために頑張っても良い、仕事自体が嫌じゃなかったら、逃げたくないって気持ちがあるんだったらそうしたら、その仕事に対して、その仕事に対して思い入れがあったりその職場で何とかリベンジしたいって気持ちがあるんだったらやったら良いと思う。


但し、積極的な休息ですね。例えばスポーツ選手が試合に出て残念ながら惨敗したと、
私は格闘技をやっていたので、空手をやっていたので、そこは自分が経験をして、体感として分かるつもりなんですけど。自分が試合に出ますよね、実力が圧倒的に違う相手なら良いです。でも自分と同じような実力の相手に、いろいろと自分の試合までの調整がうまくいかなかったりして本当にボコボコにやられてしまったと相当凹みます。


もしくは、試合に出て、大会に出て自分の後輩にやられた自分が普段偉そうに言ってる後輩に負けてしまったとかそういう経験も有るんですけど。そりゃあもう凹みます。
でも、凹んで、でも身体はね、試合で戦ってボロボロの状態になってる。そうしたら優先順すべきは何かと言ったら、その凹んだ気持ち、プライドってものをもう一回ね奮い立たせて頑張るぞってって言うより、身体の休息が先なんです。


身体がちゃんと健全な状態に戻っていないのに戦う事って、やっぱりできないんです。
そういった意味も含めてお医者さんは休息しなさい、休職をしなさいって事を仰られていると思うんですね。心の面だけを考えて休職しなさいって言う風にして、プロのお医者さんが言ってるわけではないっていう事です。身体の事をむしろ心配して休職しなさいって言って下さる部分もあるので、休職するってのは、逃げではなくて一つの選択肢として、受け取られる部分もあるんです。


その上で、どこまで今の状態が、精神力と体力があるか分かりませんが、今の仕事でもう一回チャレンジしたいっていう気持ちがあるんだったら、一回、辞めるところに差し支えがいかない範囲で、ちょっと、色々理由を言って、そんな1ヶ月2ヶ月、じゃなくても良いと思うのでちょっと休んでみる。その上で仕事の事をまったく離れて遊んでみるとか、という事はされた方が良いと思います。


それでも考えちゃうと思いますけどね、そういう風にして、とにかく今の自分って言うのは、自分が分かっててそういう状況になったわけではない鬱になった訳じゃない、分からない、自分自身の事が分からなくなってる。
自分の体力、自分の意識、色んなものを自分自身で深堀して探っていくっていう時期なのかもしれません。この鬱っていう事は、鬱になってしまった、だからダメじゃないんです。鬱になってしまった、そこから鬱の時間に自分をすごくしっかり堀下げて、自分の事を良くわかっていなかった自分という者、よくそこを向き合ってその休職期間の後にですね、ダァーンとものすごく大成していった人は一杯います。


ですから、必ずしも鬱っていう物を体調を崩した、例えば盲腸になちゃったら絶対会社休まなきゃいけないじゃないですか。身体に起きているそういった異変と同じように、心に起きている病気ってのも同じようにインフルエンザになったと同じようなものなんですよ。心のインフルエンザみたいなものなんです。ですから、鬱になったって時に休むって事は必ずしも悪い事ではないし、恥ずかしい事ではないっていうのを前提の上で、前提の上で、もし今の仕事にリベンジしたいのであれば私はもう一回チャレンジしてみるっていうのも有りだと思いますね。


但し自分の体力と相談して休みを取るべきは取った方が良いです。
その上で、ナニクソもう逃げたくないぞ、また頑張るって気持ちがあるんであれば
もう一回チャレンジして、それでまた凹んでしまう事あるかもしれません。
チャレンジするのは有りだと思います。とにかく、鬱になってしまったからダメとか今の会社でうまくいかなくなったからダメとか、人生ってものはそんな単調なものじゃないです。年齢もまだ23歳なので、全然これからいくらでもチャレンジできるし、挑戦できると思います。


ですから、そういった意味でね、まず身体を大事にして欲しいんです。休むって事は悪い事でじゃないし、恥ずかしい事でもない。もしそれを、もしあなたが一生懸命頑張っているのであれば、その上で体調を崩した、心をちょっと病んだ。これは、一つ自分が悪い、弱いっていうのではなくて、もう一度自分の事を見つめ直しなさい、この仕事で本当に良いの、本当にやりたい事なの、本当はどういう事をやっていきたいの、そう言ったことを、改めてもう一度、今の仕事に戻るって事も選択肢に入れつつもう一回、自分自身の生き方とか在り方って事を検証していくって、そういう時期として与えられたものなのかもしれません。


絶対にマイナスに捉えないで欲しいんです。それからもう一個だけ、これは処方箋というよりも、お伝えしておきたい事なんですけれども世の中で起きる事のすべての出来事は意味がないっていう事を覚えてください。世の中で例えば、交通事故が起きたとか、試験で〇点を取ってしまったとか、大好きだった彼に振られたとか、逆に宝くじが当たったとか、それから、思いかけぬ人に出会ったとか、私たちは一回、一回そういう色んな出来事に対してものすごい意味を与えたがるんです。


でも実は、それ自体に意味はない。全ての出来事には意味が無いんです。ただ起きてるんですね。ただ起きてるって事です。それがいろいろな偶然とか重なるにせよ、ただ淡々と出来事は起きてるんです。毎日毎日。しかしその起きている出来事に対して、どういう解釈をするかっていうのが人に依って違うんです。ある人はドーンと何かにぶつかった。その事で、こんな所にぶつかっちゃったよ例えばね、足をね机にドンとぶつけたと、こんな所にぶつかって爪が剥がれちゃった。小指の爪が剥がれちゃった。もう、本当に嫌だわぁと思う。何て私はアンラッキーなんだろう、不幸なんだろうって思う。


でも、ある人は、ポンと足の指の小指をですね。どっかの机の角にぶつけて爪が剥がれてしまったと、そういう事があったとします。それに対して、アーっ自分のそんなところにぶつけるって状態まで自分の身体が疲れていたんだと。ひょっとしたら身体の状態が良くないんじゃないかとかね。そういう解釈をする人もいるんです世の中には。私がそうですから。私セラピストとして身体の事、心の事を勉強してきたので、自分が思いがけず、ドンとどこかにぶつかったりとか、何か嫌な事があったりすると、まず自分の心が弱ってないかな、自分の身体が弱ってないかな、弱ってたらちょっと休もうとかね。


ちょっと自分の事、身体に歪みがあるから整体やってもらおうとか何かそういうふうにして自分の事を何か起きたことを切っ掛けにして、その起きた切っ掛け、出来事をどう捉えるか、人に依って違うって事なんです。鬱になってしまいやすい人、なってしまう人って言うのはこの世の中の出来事ですね、その出来事に対して、マイナスな解釈とか、自分を責める解釈というのを与えやすいっていうのは、そんな印象を私は感じています。


ですから一度ですね。なかなかそう言っても難しいと思いますけど、練習していけば必ずできるようになります。何か身の回りで毎日色々な事が起きます。でも、起きた出来事っていうのは、何の意味もないと思ってみてください。その上で、それをどう捉えるかっていう事を、それぞれ私たちがやってるって事なんです。ある人はAという出来事に対して、赤のレッテルを貼る。ある人は白のレッテルを貼る。黒のレッテルを貼るって皆違うんですね。


そのレッテルの貼り方っていうものがそれぞれの性格なんです。なので、これは変える事ができる訳です。自分が仕事で失敗した、その失敗したって事に対して、どういう解釈を与えるのか。人に依って、それは解釈の仕方が違うんですね。でも自分にとって、自分を傷つけるような、私はダメだとかね、そう反省するのは良いですよ。でも、いつまでも私はダメだ、私はダメだ、こういう失敗をしてしまったらもうダメだ。もう私はお終いだっていうレッテルを貼り続けるっていうのは自分を傷付けているのと一緒なんです。


ナイフを持って、グサッ、グサッ....って、一つの、一つの小さな失敗に対して、
グサッグサッって自分を傷付けてると同じ事なんです。自傷行為なんですね。ですからそれは肉体的に自傷行為をしてないにしても、心に対して必要以上の反省、必要以上に自分を責める事って言うのは、やり続けているのは悪い事なんです。自分を傷付けるって事は絶対にやってはいけないんです。ですから、反省をする、今迄の仕事の失敗とか、色んな事があって私が私が悪かったなって思うのは良い事です。


それは良い、でもその後、私が悪かった、私はダメなんだ私はもうお終いだ、私は能力が無い、皆にこういう風に見られているんじゃないか。どんどん自分を傷付ける方向で、ナイフを心に突き刺していたら当然鬱になってしまいますよね。そうしたら身体は下痢とか、それから腹痛とか、腰痛とか胃の痛みとか、頭痛とか、いろんなサインを出してこれ以上私を傷付けないでって自分を守ろうとするんです。


ですから今、あなたの身体に起きている痛み、身体の痛みっていうのはあなた自身の身体が自分を守ろうとして起こしている。SOSなんですね。そこをちゃんと受け入れてその上で、自分を過剰に傷付ける、攻撃するっていう癖を止めて頂いて一旦休息して、頑張れるんなら、頑張ったら良いと思うしちょっともう無理だなと思ったら、仕事を辞め、また違う仕事をやっても良いと思うし、それをどうすかっていうのを自分で決めることが自分の自信になります。


いずれにせよ、鬱である期間っていうのは自分に対してちゃんと向き合いなさいって、いつか人生の中でやらなくてはいけない事を今、チャンスとして自分の身体が与えてくれてるのかもしれない。そういう捉え方をして頂ければどうかなと思います。一刻も早く、何らかの決断をして休むなら、休む。そして前に進んでください。どんどん今のままの状態を引きずりながら、会社に生き続けるっていう事がプラスの選択だとは思いませんので、いろんな事を良く考えて、自分と向き合って、全然大丈夫だと思います。
まだまだこれからなので、自分の可能性っていう物を信じて模索して頂ければ良いと思います。

グリーフアドバイスのサイトでは、この大寓和尚の動画への

リンクを貼っております。

 

幸せになりたいなら〇〇してください

今日は、ユーチューブ動画から【幸せになりたいなら〇〇してください】を取り上げました。いつものようにグリーフケアに関する話題ではありませんが、喪失された後の生き方の参考にはなると思い取り上げました。

引用ここから

幸せになりたいなら〇〇してくださいという話をしたいと思います。皆さんは幸せになりたいですか?今、辛いなあとか、悲しいなぁとか、孤独だなとか何かに悩んでる人、幸せになりたいと思ってますか。みんな、幸せになりたいですよね。幸せっていうのは、今日を楽しいなと思ったり、嬉しいなと思ったり、喜んだり、笑ったり本当は誰でもそういう風に、今日一日を過ごしたいなと思ってるんですよね。

 

だから自分がそういう風な状況じゃない時に、他人がですね、笑ったり、喜んだり、感動したり、幸せだって言ってるのを見るとね、いいなって私なんかこんななのにって思っちゃいますよね。じゃあですね、幸せになるためにやればいいこと〇〇っていうのは何かというとですね、自分をチェックするっていうことなんです。


例えばですね、今日1日自分を振り返ってください。今日一日自分が何を考えて、何を
言って、どういう行動をしたか。その一つ一つは自分を幸せにするためのものですかって?いうことなんです。例えば、自分が誰かにこういうことを言ったっていうことがありますよね。今日1日を振り返って、その自分が誰かに言った言葉ですよ、その言葉はどういう言葉でしたか。愚痴でしたか、不平不満でしたか、誰かの悪口でしたか、そういうネガティブなものでしたか。


あるいはそういうことじゃなくて、真逆のですね。あれって楽しいよね、これって嬉しいよね、これっておいしいよね、これ面白いよね、感動したって明るい言葉でしたか?
それをですね、まず一つチェックしてもらうだけでもですね、自分は今日こういうことを口にしたんだなっていうことが振り返られるんですよ。

 

で、もしその負のこと、ネガティブなことを最初に言ったね、いくつかのことそう
いうことばっかり今日1日言ってたなと思った時にそれってですよ、自分を幸せに
する言葉ですかってことなんですよ。そして、行動もそうですよね。なんかじっと一日中家にいた、でもそれはですよ、家で何かすごく趣味のこととかね、楽しいことをやるのだったらいいんですよ。


そうじゃなくて何もしなくてずっとゴロゴロしてて、携帯片手にずっとなんかいろんなネットをね、こう見あさってですね、もう時にはこうなんか誰かと誰かが言い合ってるのずっと見てたりとかね、あとはこう誰かこうねリア充の人を見ても何この人みたいなねそういうことを思ってたなあとかね、そういうこうね、自分にとってネガティブな行動を今日してたか、あるいは、いや今日はあの趣味のね、あの習い事のとこに行ってそこの人たちとわいわいしゃべってね、で習い事を今日もね勉強してきたとかね、あとはこうちょっと運動不足だったからグーッともう8000歩ぐらい歩いてきたとかね、そうやってこういいことですよね。

 

いい行動をしてたかどうか、それって自分の幸せにつながることですよね。だから自分のその行動一つとっても今日を振り返った時に、今日の自分の行動って自分の幸せにつながることじゃなかったなとか、逆に自分の幸せにつながることを今日はしたなみたいなね。そこで判断ができるわけなんですよ。あとはあの言葉とか行動だけじゃなくて
心とか頭の中で考えたこと思ったことも同じです。


今日1日私はちょっとボーっとしてる時に何考えてたかな、何が頭の中に浮かんできたかな、あの時は、あの人のもうなんかムカつく言葉ばっかり今日なんかリピートしてたなとかね。頭の中でそうやってですね自分が心の中だったり頭の中でも何を考えて何を
思い浮かべてたか。それって自分の幸せにつながることかな。で、そこなんですよね。
だからまず今日1日を振り返るということからやってみてほしいんですよ。


で結局トータルして、なんか自分の幸せに全くつながらないことばっかり今日1日やってたなってわかるんですよね。でもですね、ものすごく悩んでたり、ものすごく絶望してたり、悲しかったり悶々としてたり、誰かを恨んだり、怒ってる時っていうのはですね、私も過去のどん底の時はそうだったんですけど、自分のそういうね今日1日のことなんか全く振り返ってみないわけなんですよ。


で、自分は正しいと思ってるんです。だって私は一生懸命生きてるから悪いのはこの人生だし、あの人だしっていうね、この体のこの弱さだし、親のせいだとかって、周りのせいだ、周りのせいだ、人生のせいだ、運命のせいだってものすごく嘆いてる時っていうのはですね、自分のことなんか1ミリも振り返ってないんですよ。


だって私は一生懸命生きてるからってね、でも周りが悪いから私はすっごく不幸なんですって思ってる時っていうのは自分のことを全く客観視できてないから、自分が今日1日何を考えて誰にどういうことを言って、どういう行動をして、今日1日を過ごしたかっていうのをですね、全く振り返りもしないんですよ。全くそこに意識を持っていこうとも思いつきもしないんですよね。ただひたすら嘆いてるだけなんですよ。


で、誰かにムカついたりとか、怒ったりとかね、イライラしたりとかね、私もどん底の時はね、もうひたすら嘆いて、もう泣いて、孤独だ辛いと思ってたんで、本当にそういうことができてなかったんですね。でもそこから抜け出した時に、今日1日私今こういうこと考えてるなこういうこと言葉にしてるなっていうのがね、俯瞰してねちゃんと見れるようになるわけなんですね。そうすると自分を客観視すれば冷静になれるんですよ。物事に対してだからものすごくなんかダメージを受けなくなるんですね。


あの人がこういうこと言った。なんでなのって昔は思ってたんですけど、あ、あの人ってこういうこと言う人なんだなーに変わるんですよ。あの人ってね、逆になんかその相手のことも俯瞰して客観視して見れるんで全然悲しくなくなって、全然怒りとかわからなくなったんですよ。そうすると、めちゃくちゃ人生が楽になるんですよ。自分の感情がわーっとこうね、感情的にならないんで、あーこういうことだな、今、こういうこと私今考えてるなとか、こういうこと行動してて、これってすごくいいよならとかね、だっていい方向に自分を持っていけるようになるんですよ。


だから皆さん、どうか今辛いとか、あの人のことが憎いとかね、許せないとかって、何か思ってたり、もー悲しい、私は辛いと思ってる人は今日1日のご自身を振り返ってみてください。まずそれをですね、やってみてください。それでそれを今日だけじゃなくて、明日も明後日も1週間後も、1ヶ月後もずっとやってるとですね、だんだんそれをいちいち意識しなくても常に自分のことを客観視できるようになるんですよ。


そうすると、あ、今こういう事考えてるな、これってでも自分にとってはネガティブなことだから、もう考えないようにした方がいいなとかね、自分のこの幸せには全然つながらないことを自分やっちゃってるなとかね、そういうことがね本当にわかってくるんですよ。例えば分かってきたらもうですね、もう安定してブレない自分になって、心が穏やかになってですね、幸せな毎日を過ごせるようになるんですよ。では今回もありがとうございました。

引用ここまで

如何でしたか?このように日々の自分の発言をチェックする気持ちを持つことも    ポジティブに生きるためには欠かせない行動の一つではないかと思います。確かにこのチェックを    通して自分の発言が少しづつでも前向きな発言に変わっていくことは素晴らしいと思います。
    グリーフアドバイス運営者 深井

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月になり、グリーフアドバイスの回復日記を更新しました。


今日は、先日ヤフーの高齢になってからの喪失についての記事が目に止まったので書きます。

昨日ヤフーの記事で、高齢になってからの喪失体験のデータを取り扱っている記事を見ました。
    高齢者65歳以上の方が喪失体験した場合の、その後の生き方についての記事です。その記事によると
    65歳以上での別れの場合、男性の場合は妻の喪失からの余命が5年縮まり、夫が喪失の場合、妻の
    余命が5年延びるとありました。あまりにも男女の差が明らかであるのには驚きましたが、この理由は
    男性は老後、妻に頼り切りているとの指摘がりました。頷ける理由だと納得しましたが、あまりにも男性の
    情けなさにがっかりしました。私の場合は妻が亡くなってからの生活に関しては、特に不便さは感じはしませんが
    喪失と言う心の空虚感は払拭はできません。今、現在妻が逝去してから5年は経過しています。再婚はしていますが
    余命に関しては妻の逝去により、短命になるとは思ってはいません。先妻が逝去しても、その分、残りの人生を
    しっかりと生きて行かなければとの思いで毎日生きております。それが、せめても生前にお世話になった亡き妻への
    御礼ではないかと信じて生きております。再婚するしないは別の話だと思います。ただ、生ある限り生き切るのが先妻への供養
    ではないかと、こころから信じております。

如何ですか、ちょっと男性はだらしないですね。やはり団塊の時代の男性ってこんなものだったんですね。

グリーフアドバイスでは、喪失についての様々なコンテンツが山盛りです、ぜひ、一度お立ち寄りください。
運営者 深井