うつ病の自分との向き合い方  大寓和尚

今日はユーチューブ動画から大寓和尚の相談サイトから

うつ病の自分との向き合い方」を文字起こししました。

うつ病になってしまった自分は情けないというお悩みです。23歳の女性、システムエンジニアをされているということですね。いろいろとうつ病になってしまったというきっかけが、この人は入社一年めいらしいですね。大学を卒業して、新卒で、そのまま会社に入って、まだ1年目。上司との関係、同期との関係、それから自分の体調管理不足
そういったものが重なって胃が痛い、頭が痛い、お腹が痛いと言うことが日常化してしまって,食欲が減って、生理が不順になって見かねた親御さんが心療内科へ一緒に連れて行ってくれてそれで、病院の方でうつ病というふうに診断をされて、そして、先生の方からは「仕事を休みなさい」と「休職しなさい」というふうにして言われた。


けれども、やはり、周りの友達は大学を出たばっかりで,あるいは高校なのかなぁわかりませんけれども、新卒で入って、就職して頑張っている。まだ1年目なのにそれが情けないという。そいう気持ちもある。仕事でいろいろと上司の問題とか、いろいろとあったんにせよね、トラブルがあったにせよ、1年目で、まだ就職したばっかりで、うつ病になって、やめるっていうそういう自分の根性のないようなことをしたくないという、そういうのもある。


お医者さんは「休職しなさい」と、「休みなさい」と言うけれど、さっき言ったように、周りの目もあるし、もし休職してしまって、そいうことで精神的に悩んで休職しますと、どう書くかはわかりませんけどそれなりの理由を提出しなきゃいけないですね。会社の方に。それで提出をして、あるい一定期間を休むと、それでまた復職をするということが恐らくできないんじゃないか、そう考えていくと、もちろん自分体調が悪いし、鬱になってしまったという、自分も情けないし、お医者さんが「休め」という気持ちもわかるし、でも、やはり、逃げている自分も嫌だしそれから、また就職できるかどうか分からないしどうしていいかわからないという状態ですね。


そんなことでのお悩みなんですけれど、まずこの人の問題点というのはちょっと合えてあげて見たいと思います。やはり鬱になる人って非常に真面目だったりとか、すごく周りのことを気遣う悪い言い方すれば、気にする。そういう状況にあります。逆に何も気にしない人とか、何も周りに気を使わないというタイプの人。そんな楽なことがあったらいいですけど、結構私も気遣いなので、いろいろ気にしてしまうことがあります。自分のレベルでですよ。


けど、やはり、気にするっていうのも一つの能力なんですよね。でも、そこがあまりセンサーが過敏だと当然ちょっとしたことですぐ反応してしまうということになれば、それは生活しずらいので、できる限りそういった状況を、じゃない風にしたいなと思うわけですね、まさか多くの人が自分がね、鬱になるなんてことを考えもしないで、頑張れる人間だと思ってて鬱になっちゃう。

例えば学生時代にスポーツなんかで全国大会に行ったりとか、ものすごい根性を見せてた人でも、環境が変わって就職したら鬱になっちゃう人がいるので、必ずしもある分野でがんばってて、すごい根性があった。でもそれは違う分野に行ったら通用するかどうかというのはわからなのですね。こういった問題は、今本当に心理的な鬱の問題と言うのは日本では増え続けています。


一つは、本人の問題というのもあるでしょう。やっぱり体力が人によって違うように精神力も人によって違うわけですよ。生まれ持ってるのもあるし、育った家庭環境というのもあるし、社会全体が非常に鬱になりやすいっていうようなそういった環境であるということが問題かなと思います。それは悪い社会になった、ストレスも多い社会になったということではなくて、社会の問題というのはストレスに弱い人間を育ててしまう社会になっているということです。

 

過剰なサービス、過剰な保護というものは、知らず知らずのうちに自分ではそんなつもりはなくても、小さいうちに病気に対する免疫力というものは育たない例えば、除菌除菌ということはブームになって、何でも除菌して、何でも不潔なものを、清潔なものを、ということをやり過ぎてしまうと体が抵抗力はなくなって、菌に対する抵抗という物は育たなくて作られなくて、それで大きな病気にボンとかかってしまいやすいというのこともあります。

 

それと同じように心に在する免疫ってものは小さい時から蓄積するような環境が、それを作り出すような環境がなければ、やはり自分も大丈夫と思ってて、ポンと大きなきっかけで、むしろ大きなきっかけ、ちっちゃなきっかけで簡単に鬱になってしまう。そういう社会科学背景というのもありますねですから問題はこの人の問題というのも確かにあると思うんですけど社会に対しての問題、社会の問題というのもあると思います。でも、そういっても仕方がないのでこの方が何とか再生したい、頑張りたいという気持ちがあるのであればやはり何とかしたいですよね。

 

で、私がこの中でも問題、今お悩みを聞く限りで問題だなぁと思うのは、この方結構、まだ元気だなぁと、鬱って言ってもそこまでものすごくひどい状態にはなっていないです。自己分析もできているし体調に異変が現れているとはいえ、ただですね、今言った心と体というのは繋がっているので頭痛がしてしまう、腹痛がしてしまう、それからずっと生理不順が続いしまう明らかに体に変調が出てきているので、心と身体っていうものはやっぱり密接なんです。

 

最初心が悩んで、体がに影響が出てきたにしても身体が病みすぎると心が元気になっていく土壌を失ってしまっている状態なので、身体が心配です、心も心配です。ですから、体力が落ちて、身体の抵抗力が落ちて睡眠不足になって、身体がいつも調子悪いと状態で元気になれって言うのは難しいんです。優先順位としては、心を優先するっていう事よりも、身体を優先して体力を回復していかないと、心の病って言うのはどんどん低迷していってしまうので、問題点はそこですよね。


鬱を何とかしようって、その前に身体が病んできてるって事が一つの大きな問題になってるので、そこをちょっと指摘をしておかなければいけないと思います。その上で処方箋なんですけれど、普通一般的に、鬱の人対して頑張れって言うのは禁句ですよね。
それは言ってはいけない事なんです。ただ、私はいつも鬱の人に対して言うんですけど、頑張るっていう言葉の定義って曖昧ですが、本人が頑張りたいって思うんだったら頑張れば良いと思います。


周りがお前頑張れよって、ハッパを掛けるという意味じゃなくて、自分が負けたくないって気持ちがある逃げたくないって気持ちがあるんだったら逃げたくないっていう気持ちに添って行動してみるとか何かアクションを起こせるっていう手伝いを周りがするってのは悪い事ではないと思ってます。


ただ、やっぱり腹痛が出る、腰痛が出る胃が痛い、腸ですね、腸が大腸性過敏の様な状態になってしまうとか,頭痛が酷いとか、そういったことがですね、もう自分の意識でコントルールできないっていう状態にまで追い込まれているのであれば、やっぱり休息は必要です。自分で自分の身体をコントロールできないっていう状態ですからですから、自分を守るために、自分を守るために頑張っても良い、仕事自体が嫌じゃなかったら、逃げたくないって気持ちがあるんだったらそうしたら、その仕事に対して、その仕事に対して思い入れがあったりその職場で何とかリベンジしたいって気持ちがあるんだったらやったら良いと思う。


但し、積極的な休息ですね。例えばスポーツ選手が試合に出て残念ながら惨敗したと、
私は格闘技をやっていたので、空手をやっていたので、そこは自分が経験をして、体感として分かるつもりなんですけど。自分が試合に出ますよね、実力が圧倒的に違う相手なら良いです。でも自分と同じような実力の相手に、いろいろと自分の試合までの調整がうまくいかなかったりして本当にボコボコにやられてしまったと相当凹みます。


もしくは、試合に出て、大会に出て自分の後輩にやられた自分が普段偉そうに言ってる後輩に負けてしまったとかそういう経験も有るんですけど。そりゃあもう凹みます。
でも、凹んで、でも身体はね、試合で戦ってボロボロの状態になってる。そうしたら優先順すべきは何かと言ったら、その凹んだ気持ち、プライドってものをもう一回ね奮い立たせて頑張るぞってって言うより、身体の休息が先なんです。


身体がちゃんと健全な状態に戻っていないのに戦う事って、やっぱりできないんです。
そういった意味も含めてお医者さんは休息しなさい、休職をしなさいって事を仰られていると思うんですね。心の面だけを考えて休職しなさいって言う風にして、プロのお医者さんが言ってるわけではないっていう事です。身体の事をむしろ心配して休職しなさいって言って下さる部分もあるので、休職するってのは、逃げではなくて一つの選択肢として、受け取られる部分もあるんです。


その上で、どこまで今の状態が、精神力と体力があるか分かりませんが、今の仕事でもう一回チャレンジしたいっていう気持ちがあるんだったら、一回、辞めるところに差し支えがいかない範囲で、ちょっと、色々理由を言って、そんな1ヶ月2ヶ月、じゃなくても良いと思うのでちょっと休んでみる。その上で仕事の事をまったく離れて遊んでみるとか、という事はされた方が良いと思います。


それでも考えちゃうと思いますけどね、そういう風にして、とにかく今の自分って言うのは、自分が分かっててそういう状況になったわけではない鬱になった訳じゃない、分からない、自分自身の事が分からなくなってる。
自分の体力、自分の意識、色んなものを自分自身で深堀して探っていくっていう時期なのかもしれません。この鬱っていう事は、鬱になってしまった、だからダメじゃないんです。鬱になってしまった、そこから鬱の時間に自分をすごくしっかり堀下げて、自分の事を良くわかっていなかった自分という者、よくそこを向き合ってその休職期間の後にですね、ダァーンとものすごく大成していった人は一杯います。


ですから、必ずしも鬱っていう物を体調を崩した、例えば盲腸になちゃったら絶対会社休まなきゃいけないじゃないですか。身体に起きているそういった異変と同じように、心に起きている病気ってのも同じようにインフルエンザになったと同じようなものなんですよ。心のインフルエンザみたいなものなんです。ですから、鬱になったって時に休むって事は必ずしも悪い事ではないし、恥ずかしい事ではないっていうのを前提の上で、前提の上で、もし今の仕事にリベンジしたいのであれば私はもう一回チャレンジしてみるっていうのも有りだと思いますね。


但し自分の体力と相談して休みを取るべきは取った方が良いです。
その上で、ナニクソもう逃げたくないぞ、また頑張るって気持ちがあるんであれば
もう一回チャレンジして、それでまた凹んでしまう事あるかもしれません。
チャレンジするのは有りだと思います。とにかく、鬱になってしまったからダメとか今の会社でうまくいかなくなったからダメとか、人生ってものはそんな単調なものじゃないです。年齢もまだ23歳なので、全然これからいくらでもチャレンジできるし、挑戦できると思います。


ですから、そういった意味でね、まず身体を大事にして欲しいんです。休むって事は悪い事でじゃないし、恥ずかしい事でもない。もしそれを、もしあなたが一生懸命頑張っているのであれば、その上で体調を崩した、心をちょっと病んだ。これは、一つ自分が悪い、弱いっていうのではなくて、もう一度自分の事を見つめ直しなさい、この仕事で本当に良いの、本当にやりたい事なの、本当はどういう事をやっていきたいの、そう言ったことを、改めてもう一度、今の仕事に戻るって事も選択肢に入れつつもう一回、自分自身の生き方とか在り方って事を検証していくって、そういう時期として与えられたものなのかもしれません。


絶対にマイナスに捉えないで欲しいんです。それからもう一個だけ、これは処方箋というよりも、お伝えしておきたい事なんですけれども世の中で起きる事のすべての出来事は意味がないっていう事を覚えてください。世の中で例えば、交通事故が起きたとか、試験で〇点を取ってしまったとか、大好きだった彼に振られたとか、逆に宝くじが当たったとか、それから、思いかけぬ人に出会ったとか、私たちは一回、一回そういう色んな出来事に対してものすごい意味を与えたがるんです。


でも実は、それ自体に意味はない。全ての出来事には意味が無いんです。ただ起きてるんですね。ただ起きてるって事です。それがいろいろな偶然とか重なるにせよ、ただ淡々と出来事は起きてるんです。毎日毎日。しかしその起きている出来事に対して、どういう解釈をするかっていうのが人に依って違うんです。ある人はドーンと何かにぶつかった。その事で、こんな所にぶつかっちゃったよ例えばね、足をね机にドンとぶつけたと、こんな所にぶつかって爪が剥がれちゃった。小指の爪が剥がれちゃった。もう、本当に嫌だわぁと思う。何て私はアンラッキーなんだろう、不幸なんだろうって思う。


でも、ある人は、ポンと足の指の小指をですね。どっかの机の角にぶつけて爪が剥がれてしまったと、そういう事があったとします。それに対して、アーっ自分のそんなところにぶつけるって状態まで自分の身体が疲れていたんだと。ひょっとしたら身体の状態が良くないんじゃないかとかね。そういう解釈をする人もいるんです世の中には。私がそうですから。私セラピストとして身体の事、心の事を勉強してきたので、自分が思いがけず、ドンとどこかにぶつかったりとか、何か嫌な事があったりすると、まず自分の心が弱ってないかな、自分の身体が弱ってないかな、弱ってたらちょっと休もうとかね。


ちょっと自分の事、身体に歪みがあるから整体やってもらおうとか何かそういうふうにして自分の事を何か起きたことを切っ掛けにして、その起きた切っ掛け、出来事をどう捉えるか、人に依って違うって事なんです。鬱になってしまいやすい人、なってしまう人って言うのはこの世の中の出来事ですね、その出来事に対して、マイナスな解釈とか、自分を責める解釈というのを与えやすいっていうのは、そんな印象を私は感じています。


ですから一度ですね。なかなかそう言っても難しいと思いますけど、練習していけば必ずできるようになります。何か身の回りで毎日色々な事が起きます。でも、起きた出来事っていうのは、何の意味もないと思ってみてください。その上で、それをどう捉えるかっていう事を、それぞれ私たちがやってるって事なんです。ある人はAという出来事に対して、赤のレッテルを貼る。ある人は白のレッテルを貼る。黒のレッテルを貼るって皆違うんですね。


そのレッテルの貼り方っていうものがそれぞれの性格なんです。なので、これは変える事ができる訳です。自分が仕事で失敗した、その失敗したって事に対して、どういう解釈を与えるのか。人に依って、それは解釈の仕方が違うんですね。でも自分にとって、自分を傷つけるような、私はダメだとかね、そう反省するのは良いですよ。でも、いつまでも私はダメだ、私はダメだ、こういう失敗をしてしまったらもうダメだ。もう私はお終いだっていうレッテルを貼り続けるっていうのは自分を傷付けているのと一緒なんです。


ナイフを持って、グサッ、グサッ....って、一つの、一つの小さな失敗に対して、
グサッグサッって自分を傷付けてると同じ事なんです。自傷行為なんですね。ですからそれは肉体的に自傷行為をしてないにしても、心に対して必要以上の反省、必要以上に自分を責める事って言うのは、やり続けているのは悪い事なんです。自分を傷付けるって事は絶対にやってはいけないんです。ですから、反省をする、今迄の仕事の失敗とか、色んな事があって私が私が悪かったなって思うのは良い事です。


それは良い、でもその後、私が悪かった、私はダメなんだ私はもうお終いだ、私は能力が無い、皆にこういう風に見られているんじゃないか。どんどん自分を傷付ける方向で、ナイフを心に突き刺していたら当然鬱になってしまいますよね。そうしたら身体は下痢とか、それから腹痛とか、腰痛とか胃の痛みとか、頭痛とか、いろんなサインを出してこれ以上私を傷付けないでって自分を守ろうとするんです。


ですから今、あなたの身体に起きている痛み、身体の痛みっていうのはあなた自身の身体が自分を守ろうとして起こしている。SOSなんですね。そこをちゃんと受け入れてその上で、自分を過剰に傷付ける、攻撃するっていう癖を止めて頂いて一旦休息して、頑張れるんなら、頑張ったら良いと思うしちょっともう無理だなと思ったら、仕事を辞め、また違う仕事をやっても良いと思うし、それをどうすかっていうのを自分で決めることが自分の自信になります。


いずれにせよ、鬱である期間っていうのは自分に対してちゃんと向き合いなさいって、いつか人生の中でやらなくてはいけない事を今、チャンスとして自分の身体が与えてくれてるのかもしれない。そういう捉え方をして頂ければどうかなと思います。一刻も早く、何らかの決断をして休むなら、休む。そして前に進んでください。どんどん今のままの状態を引きずりながら、会社に生き続けるっていう事がプラスの選択だとは思いませんので、いろんな事を良く考えて、自分と向き合って、全然大丈夫だと思います。
まだまだこれからなので、自分の可能性っていう物を信じて模索して頂ければ良いと思います。

グリーフアドバイスのサイトでは、この大寓和尚の動画への

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