家族やペットとの死別・離婚などの喪失体験で大切にして欲しいこと

今回はユーチューブ動画から

グリーフケア】家族やペットとの死別・離婚などの喪失体験で大切にして欲しいことを、引用します。

引用ここから
あっこ先生です。今日もご視聴ありがとうございます。
今日は喪失体験についてお話をさせていただけたらと思います。
私たちが生きている中で、この喪失体験に出会わない人はまずいらっしゃいませんよね。おじいちゃま、おばあちゃまであったり、お父さんお母さんであったり、大切な
可愛がっていたペットを亡くされる方もいらっしゃるかもしれません。
そして離婚を選択される方、親御さんが離婚をされて、その悲しみを抱いている方も
いらっしゃるかもしれません。それが大人であっても子供であっても、そういうふうな
ことに出会った時に、私たちがどんな心持ちでいたらいいのかなっていうことを、今日はお話しさせて頂きたいと思います。

 

30年ちょっと保育の仕事をさせていただいていると、この喪失体験、喪失経験を抱いたお子さんたちに出会うことは何度かありました。お母さんを病気で亡くされた子もいましたし、お父さんを自死、自殺で亡くされたお子さんとも出会いました。それからご両親がご離婚されてっていうお子さんも出会いました。大人であっても子供であっても、その喪失体験を抱いているのに無理をして、頑張っていてその泣いてはいけない早く忘れなきゃとか、しっかりしなければという風に気持ちに蓋をしてしまったり、押さえつけようと頑張ってしまえばしまうほど、心が重くなったり、怒りっぽくなったり、投げやりになったり、人との関わりが辛くなるという状態になりやすいと思います。無理をして頑張っていたからと言って、悲しい気持ちや辛い気持ちが消えてなくなる訳ではないからです。


ちなみに子供たちが死を理解できる年齢は、個人差があるのかもしれませんけれども、
7歳から9歳ぐらいじゃないかなって言われています。それをどう伝えよう、お子さんにそんな
ことを伝えてしまったらすごくショック受けるんじゃないかなって、親御さんたちが
心配されて、お母さんはどうしていなくなっちゃったの、お父さんはどうしていなくなっちゃったのって聞かれた時に、星になったんだよとか、お空に行ったんだよとか、ちょっと今遠いところに行っているんだっていう風に、答える大人の方達いらっしゃるんじゃないかなと思う。あまりそれはお薦めできません。なぜかと言うと、子どもたちは分からないなりにも、解ろうっていう思いがここにはあるし、その子供たちにそう言ったことを伝えてしまうと、子供たちは不安や戸惑いを抱きながら生きていかなければならない時が多いからです。


私が出会ったお子さんたちもそうでした。まだ小学校1年生ぐらいだったり、3年生
ぐらいだったり、幼児さんであるお子さんもそうでしたけれども、今言っても説明してもわからないんだろうって、恐らく思われたんだと思うんですよね。そしてショックを受けさせたくないと思われたんだと思うんですけど、お母さんは病院にいるんだっておっしゃられて説明をされた方もいます。しお母さんちょっと遠いところにいるんだっていうご説明をされていた親御さんも、いらっしゃいました。

 

でもそのお子さんたちはなんだかわからないけれども、お母さんが居ない、いつになったら帰ってきてくれるんだろうっていうことに対して、ものすごく期待をするし、そこに向けて自分がちゃんとしよう、頑張ろうって、無理をしてしまったりという姿も見てきました。ご離婚であってもそうですし、死別された場合でも、お子さんにはきちんと
本当のことを伝えてあげるっていうのは、とっても大事になるんじゃないかなと思います。


それはとても勇気のいることでもあるんですけれども、ちゃんと伝えてあげるっていう事で、お子さんは、ゆっくりゆっくり時間をかけながら理解をしていけるんじゃないかなと思いますし、それをお話しされる親御さんたちの心の中にも、気持ちの整理をするための覚悟みたいなものができるんじゃないかなと思うんです。すごくつらい作業ですけれどね。ちゃんと本当のこと、正しいことを伝えてあげてほしいなって思います。


その時に気をつけてほしいなと思うのが、本当のことを伝えるんですけれども、特にご
離婚の場合はそうかな、決してお相手のことを悪く言ってしまったり、こんなにひどい人だったんだよ、だから仕方がなかったんだみたいな言い方はしないであげてほしい
です。お母さんお父さんの気持ちの中には、言いたいこと解ってほしいこといっぱい
あるんだと思うんですけれども、でも、今はそれはお子さんにそのまま伝えないであげ
てほしいです。大人になるにつれて解るようになってきた時に、それはお子
さんの中で自然に感じ取り理解することができるようになるからです。


お母さんお父さんがそれを言えば言うほど、かえってその残されたお子さんとの関係性に支障が出てくるんじゃないかなと、そして非難してしまったり悪く言ってしまったり
すると、お子さんたち本当の思いを親御さんに伝えることができなくなってしまうん
ですよね。そうするとずーっとおそらく苦しい気持ちを抱き続けながら大人になら
なくては、ご離婚があったとしても、死別であったとしても、きっとそれぞれの思いの中にはもっとこんな風にしてあげれば良かった、私がそうしなかったからいけなかったんだ。もっと優しくしてあげればよかった、もっといい子でいればよかった、色んな思い、ご自身を責める思いが湧いてくるんだと思います。


大人であっても子供であっても同じです。その時にとても大事になるのが、とことん泣くということ涙を流すということは悪ではありません。むしろ、そういう喪失体験をした時にはすごく大事になって、涙を流すことで辛さや、苦しみや、悲しさや怒りを少しずつですけれども洗い流してくれる作用があります。そして次に大事になるのが信頼できる人に話すということ、信頼できる人に話し寄り添ってもらうということ共感してもらうということはすごく大事になります。特に離婚されている場合、お子さんは、お母さんお父さんに話しづらい気持ちもたくさん抱いています。ですので、お母さんから見た信頼がおける人にお子さんが話すようにセッティングしてあげるということも大事になってくるんじゃないかな。

 

とことん泣く、その我慢しないで泣くっていうことを許してあげることで、少しずつその思いみたいなものが変わってくると思います。その時に大事になるのが、楽しかったこと、良かったこと、何か心に残してくれたことを話をするっていうことも、とても大事になります。手紙を書くのもとっても有効です。自分の思いを紙に綴ることで自分の思いを見ることができすよね。それを感じることができるんだと思います。それも
悲しみを癒すためにはとっても有効になります。お子さんの場合でしたらまだ文字が
書けないのであれば、たくさん絵を書かせてあげるということもとても大事です。

 

お子さんの絵は心のお話です。こう書いた方がいいんじゃないの、なんて口を出さずに、黙って見守ってあげながらたくさん、たくさん何枚でも書かせてあげるといいんじゃないかと思います。声にならない言葉、言葉にならない言葉を、そこにたくさん表現してくれるはずです。そうやって悲しみが癒えてくると、思い出す頻度が少なくなったり、泣く回数が減ってきたりということが出てくると思うんです。

 

その時に真面目で優しい人ほど、そんな自分じゃダメなんじゃないか、そんな自分はすごく残酷で冷たいんじゃないかって思われたりするんじゃないかなと思うんですけれども、それでいいんですよ、悲しみが少しずつ癒えてきて日常が戻ってくると、思い出す頻度が少なくなったり、むしろ思い出すという行為をしなくても、常にここにいる、常に胸の中にいてくれるという状態を認識できるようになるんじゃないか。大きくぽっかり空いたその人生の隙間みたいなものに、冷たい風が吹いたり悲しい雨が降ったりするように、感じることたくさんあると思うんです。でも先ほど私がお話ししたように、その泣くことを我慢しない、話すことを躊躇しないということをちゃんと許して、続けていってあげるとそのぽっかり空いた大きな穴には必ず何かが生まれてきます。


それが大切で、可愛がってあげていたペットなのであれば、保護犬や保護猫に興味を示す方もいらっしゃいます。それが大切なご家族なのであれば、私が向き合わせていただいてた方は、お母さんはとっても料理が上手だったからと言って、彼女も毎日丁寧にご飯を作っていました。そのご飯を作ることを通じてきっと彼女はお母さんが良かったこと、お母さんが残してくれたことを思い出し、受け継ごうって思ったんだと思うんですよね。そして、彼女はそのおいしいごはんをいつか子供食堂などで、そのスキルその技術を役立てたいって話してくれたこともありました。

 

すごく素敵なことですよね、そのぽっかり空いてしまった大きな穴の中に、必ず何かが芽生えてきます。それを、適切にしてあげてほしいんですよね。で、その芽生えてきたものは、大切な人や、大切な家族、大切なペットが残してくれた大事なものだと思うんです。大人であっても、子供であっても、上手く涙が流せない時ってあると思います。それがショックな出来事であったり我慢してしまったり、あまりのショックに心がそれを感じないようにさせてしまうことも時にはあります。そういった時に有効になるのが絵本です。


私カウンセリングの中でも絵本を活用させていただいているんですけれども、そっと静かに寄り添ってくれる絵本もとても有効になります。いくつか紹介していきますね、こちらは「4光年の僕」という本です。この絵本は、お母さんを亡くされてシングルファザーとして、お子さん、残されたお子さん二人を一生懸命育てているお父さんの様子が描かれた絵本です。ちょっとね、関西弁で書かれている絵本なのでより感情が伝わりやすい本なんじゃないかな。

 

そしてこちら「雲の上の針」という絵本。こちらはお子さんを亡くしたお母さんの様子、そしてお空に旅立っていったお子さん目線で見た、お母さんの様子が双方優しく綴られた絵本です。そして、こちらこの「ほろづき」という絵本はおばあちゃんを亡くした孫の視点から書かれた絵本です。おばあちゃんとの思い出を、美しい景色と共に描いた絵本になります。そしてこちら「忘れられない贈り物」こちらは、このアナグマさん、年老いたアナグマさんが旅立ってしまった後に残された動物たちが、それをどう受け止め、どう生かして行くのかっていう様子が、優しく作られた絵本です。


そしてこちら、こちらはね、以前私のYouTubeの中でもご紹介させていただいたんですけれども、「悲しみのゴリラ」という絵本。こちらは、この主人公の男の子とお父さんが出てくるんですけれども、お母さんを亡くされ、その時に大きなゴリラが少年と向き合って寄り添ってくれるというお話です。おそらくね、このゴリラは、きっとこの男の子の心のつぶやきなんだと思うんですけれども、すごく優しく寄り添ってくれる対話が綴られています。


最後にもう一度、悲しい気持ち、辛い気持ち、苦しい気持ち、怒りに似たような感情、
決して抑え込まないでくださいということ。そして、それを安心安全な場で、とことん共有してもらうということを大事にしてください。それを共有できる人がちょっと見つからないっていうのであれば、先ほどお話したように手紙を書く思いを綴ってみるということもとても大事です。そして一人になった時に涙を抑えないっていうこと大事にしていただけたらなと思います。

引用ここまで

 

ここからは、運営者の感想です。如何でしたか?子供を残しての離婚経験のある私には、ちょっと胸の詰まる内容でもありました。皆様はどう感じられましたか。

グリーアドバイスのサイトでは、今回のユーチューブ動画へのリンクを貼っています。お立ちより下さい。

 

 

5分間法話 人の死をどう受け止めるか

今回はユーチューブ動画から
「人の死をどう受け止めるか」と言う法話をご紹介します。

亡き人を偲び、只泣き暮れるのではなく亡き人からの、何らかを学び自分のこれから人生に生かして行く大切さを教えられました。
お読み下さい。


引用ここから
5分間法話 人の死をどう受け止めるか

こんにちは禅活の「ちしょう」です。

私たち人間にとって死とは重大で深刻なものです。誰も経験したことがないはずなのに、自分の死は恐ろしく、他者の死の場合は、その方が身近であればあるほど、重く苦しく心に突き刺さってきます。死と言う得たいの知れないもの、今回は人の死の受け止め方について、あるご葬儀での経験をお話しさせていただきます。

 

私がはじめてご葬儀に携わったのは高校生の頃でした。同士を務める祖父の手伝いをしたのが始まりで、それ以来沢山の亡くなられた方々をお送りして参りました。沢山の葬儀を務めさせていただく中で、強く心へ残った出来事はいくつもありますが、今お話しさせていただくのは友人の、お父さんの葬儀のことです。

 

今年5月のこと、友人から1本の電話を受けました。あぁ、ちしょう、突然悪いねぇ、いやー親父なんだけどさぁ、どうも危ないみたいでね、今日、明日の話じゃないんだけど、まあ、でさぁ、どうなるかわかんないんだけど、もし亡くなった時には葬儀を務めてくれるか。あー、俺でならもちろんいいよ。


そんなやりというをかわして、時間後のことです。亡くなったという連絡が届きました。私も生前お世話になっていたということがあり、急な知らせに気持ちの整理がついていきませんでした。急いでご葬儀の準備を進めて、迎えたお通夜の日。新型コロナの影響も考慮して、家族と親しい親族だけで送るというお話でしたが、会場には多くの方が弔問に訪れていました。


聞けばその方々の多くが、個人の教え子であるというお話でした。友人のお父さんは教員として定年退職まで勤め上げた方で、かつての生徒たちが口づてに訃報を聞き駆けつけてきたそうです。それぞれが口々に感謝の言葉を述べ、ひたすらに思いを込めてご焼香されている姿を見つめ、私はその様子をお釈迦さまが亡くなられるときの様子に重ね合わせていました。


お釈迦さまが亡くなられる時の様相を示した仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいぎょう)というお経があります。遺教(ゆいきょう)又は遺教経(ゆいきょうぎょう)と呼ばれ、二月十五日の涅槃会や、亡くなった方の枕経で唱える事が多いお経です。その内容は、まさに死に瀕したお釈迦様は、残されるお弟子様方に、最後の説法を行うというものです。


お釈迦様はそのお命が尽きようとしている最後の最後までお弟子さま方に、教えを伝えようとなされました。お経の最後はこのように結ばれます。汝等且(なんだちしばら)く止みね。また語(ものいう)ことを得ること勿れ。時まさに過ぎんなんと欲す。我れ減度せんと欲す。是れ我が最後の教げする所なり。


これはすなわち、弟子たちを静かにするがいいもはや言葉を発してはいけない。時はまさに過ぎ去ろうとしている。私はここで死を迎える。これが私の最後の教えであるという、お諭しです。ここでお釈迦様はご自身の死を通して、命のあり方を解かれたのだと私は思います。


私が友人のお父さんの葬儀にお釈迦様のご最後を重ね合わせていたのは、その教えを受けた方々はきっとこれからも、受けた教えを胸に日々を生きていかれるのだろうと感じたからに他なりません。亡くなったその人の生き様や教えが、残された人の胸に宿り、そして人生を生きる支えとなって行く、これは人の死を受け止める上で、非常に重要なことだと思います。


だとすれば人の死を考える際に、大切なことは死んでどうなるのかということ以上に、どのように生き、どんな教えを残すかが大切なことだと言えるのではないでしょうか。それは友人のお父さんだけでなく、私自身に問われていることでもあります。今回は人の死をどう受け止めればということについてお話しさせていただきましたご静聴ありがとうございました。
引用ここまで

 

如何でしたか、運営者の深井です。
グリーフアドバイスのサイトでは、今日のお話のユーチューブ動画へのリンクは貼って
ありますので、お立ち寄り下さい。

グリーフアドバイスはこちらです

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しみ苦しみとの付き合い方 親との死別、コロナで収入減、、弱った心を整えるには

今日はユーチューブ動画から
悲しみ苦しみとの付き合い方を紹介します

副題
親との死別、コロナで収入減、、弱った心を整えるには


引用ここから

みなさんこんにちは心理療法家の川端信子です。今日も皆さんから頂いたご相談の中から1名の方の御相談を選ばさせていただきました。今日は、HIさんなので、ハイさんかヒーさんか、どっちかだと思うんですけど一応ヒーさんでいきましょうかね。ヒーさん40代の自営業の方からご相談いただきました。


母の死、コロナ、父の不調、一人で抱え参っています。というご相談です。母が亡くなって今日で丸三ヶ月が経ちました。四十九日を過ぎてから眩暈がひと月ほど続き、起き上がることができませんでした。その後週ごとに、家の中で起きて過ごし、家事が出来るようになり、次の週には、仕事に復帰してと、進退的な症状は治まりつつなんとか毎日を過ごせるようになりましたが、まだ心が不安定です。


外に出ること、人に会うこと、緊張することでめまいがするのが心配で、抗不安薬がお守りです。体力ともに自信がなくなって、今までの自分が一体、なぜあんな自信に満ちあふれていたのか不思議なくらいです。コロナ過での影響で収入が減るなか、月々の返済のためにも安定して働ける精神状態に戻りたいのと、そんな中父も同じく、もしくは私以上に体力、精神共にガタッときて私に支えを求めています。


もちろん父が安心して毎日を過ごせるように手助けしてあげたい、しかし私もまだ万全ではない。県外の実家に通う金銭的余裕もない。と、死別の悲しみから回復する兆しの中、急にいくつもの問題が自分の中でかみ合ってきて、相談するところもなく一人で抱えてしまっているところこちらのサイトに出会いました。信子先生どうぞ助けてください。よろしくお願いします。


先生の名前、母の名前と同じでご縁を感じますということです。ヒーさんのお母さんの信子さんっておっしゃるんですね。ご縁ですね、ヒーすごく優しくて、ご家族思いなんだなーっていうのが伝わってきますね。そしてものすごく頑張り屋さんだなあっていうのが伝わってきます。なのでこれまでもいろんなことをポジティブに明るく前向きに切り抜いてきたと思うんですね。


だけど大切なお母様を失われて、今は本当に落ち込んで喪に服す期間だと思います。丸、三カ月は経ったということで、まだまだ3ヶ月なんですよねまだ3ヶ月で、ヒーさんに取ってお母さんの存在っていうのはヒーさんが思ってた以上に心を占めていたり、ヒーさんの幸せに影響を与えていたっていうことを、たぶんお母さんが亡くなって初めて実感されたんじゃないかなって思うんですね。今は落ち込んで当たり前、悲しんで当たり前、前のように元気になろうとか、前向きになろうとする必要はないって事を知っておいてください。


もちろんお父さんも同じように、おかあさんに対する思いとか、ロスの寂しさとかっていうのは、ヒーさんと同じくらいあると思いますから、お互いを思いやりつつも無理のない範囲で、関わり合う、家族であったとしても適度な距離感っていうのは大事な時があるんですね。特に辛い時だからこそ、あの支え合わなきゃいけないって思うんだけれども辛い時だからこそ、お互いストレス感じて、相手を思いやるゆとりが無い、ようは、物理的におとうさんのとこに行って、お父さんの世話をしてっていうのが、多分ヒーさんの理想の関わり方や、思いやりの表現の仕方だと思うんですね。


でもそうではなくて、ただただ今は自分の体調が優先なので、自分で死んだね、溺れている状態では、溺れている相手のことを助ける事っていうのはできませんからまずそのことをあの明確にして、まぁ私もお父さんも溺れる状態なんだ、私は、私をまず溺れてる状態から陸に入れてあげることが、大事なんだっていう私が時々皆さんにお伝えする、Meファーストってね、オンリーMeではなくてね。

まず自分がボロボロのときは、まず自分のことをあの整えてあげよう、自分のニーズを満たしてあげようというMeファーストという精神を培ってあげるということ、それは結果的に相手の事を満たすことにつながっていきますから、MeオンリーではなくてねオンリーMeではなくて、まず私という立場をとって満たしてあげる。


それを、許可をヒーさんがその許可を与えた自分自身に許可を与えただけでも、肩の重しがふっと取れるっていう事はあります。全部私がやらなきゃ、つらい、つらい、つらいて落ち込んでる場合じゃない。お父さんだって辛いから、お父さん助けなきゃいけないんだあって、自分に心理的な足かせをかけている以上、この重しがね、なかなか次のステップ行動を起こさせにくくなってしまう。足かせになってしまうので、まずその心理的な足かせを取ってあげる、重しを取ってあげるって言うことをしてください。


私はまず私を大事にして良いんだって、許可を与えること。これでね、あまりゼロかイチの大きな差が出てくると思いますので、そうしてあげてください。そして、サポートの輪を広げてください。自分だけがお父さんのお世話をする人ではなくて、もちろん、あの家族なのでお父さんのサポートをしたいって思うのは当然だし、ヒーさんにできるサポートはしてください。例えば毎日電話をかけることっていうのはできるかもしれない。もちろん毎日が大変だったらね、週に数回っていうのでもいいかもしれないですよね。


だけれども数週間に1回実家に帰ってとかね、離れている実家に帰っていうのはとても負担になると思うので、そこが連携をするサポートの輪をどんどん広げて、例えばお父さんの周りに親族で、お父さんの様子をちゃんとチェックしてくれる人がいないかとか、お父さん体調悪かったら一緒に病院付き合ってくれる人がいないかとか、あるいはね、ご近所でネバーウォッチング、お互いにちゃんを目をつけてあげて、見守ってあげて、お父さんの状態を時々ね、チェックしてチェックしてほしいということを、
コミュニケーションすることも一つですし、あとはやっぱりお父さんの体調があまりに
も優れていなかったり、そしてヒーさんの状態も優れていないような場合には、きちんと
地元のご実家のあるところですね、福祉課に連絡をして何が可能か、あるいはあの
地域包括支援センターなどにコンタクトを取って、何ができるかっていうことを相談するっていうことも大事になってきますので、どんどんこういう福祉とかサービスを活用するようにコンタクトしてみてください。

お母さんが今まで、もしかしたらね、お父さんにとっての大きな支えになってきたと思うん
ですよね。だけれどもお母さんが亡くなってしまって、お父さんもものすごく大きな穴が空いてしばらくは、その寂しさを埋めるのにヒーさんのところにもコンタクトっていうのが増えてくるかもしれませんけれども、その時にも率直にお父さん今ね、私もすごく大変でね、お父さんの気持ちわかるし、私も父さんところに飛んでってあげたいし、お父さんのサポートもしたいと思ってるだけれども、今、自分はこういう状態でとっても辛いんだっていうことも、素直に伝えてあげる、そうするとお父さんも、あぁ、娘ばかりに頼っていられないんだということで、自分でサポートを拡充していくっていうことに意識が向き始めるかもしれないんです。


ヒーさんがそれを隠してお父さんには心配かけたくないからといって、隠して頑張っている
以上ね、娘はまだ若いし私より体力があるから、娘に頼ればいいって短絡的に考えてしまう可能性がありますけれども、そうではなくて、私も今辛くて大変なんだってことを逆に家族だからこそこの本音を吐露したっていいっていう見方もあります。お父さん高齢だから心配かけたくないっていう見方ももちろんあると思うんです、でも今はヒーさんがとっても大変な状態なのでちゃんと自分のケアをまずは優先して、私が元気になって気力も体力も溢れてきたらば、また私が行き来するからねって、お父さんのところにも行けるようにするから、それまでちょっと私は私の事に取り組むからお父さんそのことを理解してねって、こういうやりとりを率直にしていただけるというのではないかなって思います。


いずれにせよ、あのキーワードはこのサポートを拡充していく、自分だけがおとうさんのサポーターになるのではなくって、お父さんの周りにたくさんのサポーターが自分以外のサポーターがいるように、同時にヒーさん自信も自分のサポーターを拡充してください。この大変な時に大変だって素直に助けを求められる相手を、回りに一杯作ること、相手に迷惑かけちゃいけないって思ってるかもしれないです。だけれどもヒーさんが思っているほど相手は迷惑なんて思っていないことがほとんど、本当に大変な時はね。今本当に大変な時なんだなって理解する力を回り持っている人はたくさんいるって、もちろん依存じゃない人もいっぱいいるかもしれないけれどもあぁこういう時にヒーさんが素直に助けを求めたりすれば、力になってあげたいって思うような人っていうのは結構いたりします。


助けを求めてみて初めて、あぁ、こんなに助けてあったんだって気づくっていうことはね、よくあることですので、素直に、今、私は大変なんだ、辛いんだって言って助けを求める、何かして欲しい事があったら、たまに私のことちょっと見に来てくれないかなとかね、あるいは何か買ってきてくれないかなぁとか、お惣菜なんか買ってきてくれないかって、気が滅入っててねとかね、そういう事を言える関係っていうのを作っていくと楽になると思います。


私たちには相互扶助の精神、ヒーさんがお父さんの力になってあげたい、だけどこうなれないって思う時がある。周りも成れない時もあれば、助けになりたいって思う人もいっぱいいますからそれはヒーさんが誰かの力になりたいと思うと全く一緒です。この相互扶助の精神っていうのを生まれながらにして私たちは持っていますから、その助けたいニーズ、助けたいという相手の欲求を満たすというのが今の課題だ。人助けをしてヒーさんから感謝される機会を周囲に対して与えているという風に受け止めてみて、今は助けられることが仕事という風にね、ご自身の役割を位置づけるのも大事じゃないかなって思います。

 

今はもう落ち込んで当然、休もうって、休むことが仕事、そして助けも、助けを求めることは
仕事ってね。割り切ってください。抗不安薬がお守りということで、あのきちんと服薬をしながら薬をね、もう早くやめて早く元気にならなきゃっていう風にしないで、きちんと薬を活用しながら薬の英知を活用しながら、自重もしながら調子を見ていってください。無理をせずに無理は続かないというね、自然界の法則がありますから、今は休む時、きっと天国のお母さんもヒーさんに頑張らなくていいよ、今はゆっくりね、あなた頑張ってきたからねって、優しい眼差しでヒーさんの事を思いやっていると思います。お母さんのエネルギーと繋がるていうことも意図して、寂しさの中にもそういう見えないお母様思いやりののエネルギーを感じて、ぜひご自身に優しく過ごしてあげてください。どうもありがとうございました。

引用ここまで

如何でしたか、本当に必要な時に、必要な助けを求める事ってなかなか難しい事なんですね。
介護サービスなどもあるのは解っていますが、なかなか利用する状況になると、そこまで考えが至らないものなんですね。でも、本当に
自分を犠牲にしていては、他の人を助けるなんて事は出来ません。身内だからこそ率直に言える事もあるのは事実ですね。考えさせられました。
参考にして頂けましたでしょうか。
グリーフアドバイスでは、この動画のリンクをページトップに貼ってありますので、
ご覧頂ければと思います。グリーフアドバイス 運営者 深井

 

 

 

大切な人と別れた時 悲しみを乗り越える方法

今回はユーチューブ動画から、悲しみの乗り越え方の仏教版を引用しています。


引用ここから

今日は岩手県北上市からお話しいたします。今回のテーマは仏教版、大切な人と別れた時悲しみを乗り越える方法というテーマでお話をいたします。大切な人と別れた時生き別れや、また死に別れということもありますが大切な人と別れた時、誰でも深い悲しみに沈んだり、中には絶望したりしてしまうこともあります。今回はその悲しみをどのように乗り越えればいいのかお話をしていきたいと思います。

 

今回の話のポイントは三つです。1番目が腐敗菌、2番目が大悲の願船、3番目が浄土で再開という順番で、お話をいたします。1番目の腐敗菌ということについてお話します。腐敗菌といいますのは、物を腐らせるものです。腐敗菌によって食べ物が腐ってしまうということがあります。食べたいと思って冷蔵庫に入れていたものがいつのまにか腐ってしまう。あー食べることができなかったと困ってしまうことがあります。

 

しかし腐敗菌によって、動物や虫の死骸、草木、落ち葉なども腐らせます。もし腐敗菌が無かったらどうでしょう、この地球上が動物や虫の死骸、草木、落ち葉などで、とても私達が生きて行けなくなってしまうのではないでしょうか。そういう点から言えば、腐敗菌というのはありがたいものであります。ちょうど忘却。私たちが忘れるというのも腐敗菌と同じようなものです。大事なことを忘れてしまって人に迷惑を掛けるのがよくないことです。これがよくよく気をつけねばならないことです。しかしどんな苦しみも悲しみもやがて忘れるということがあります。


もし人生の苦しみや悲しみをすべて覚えているとしたらどうでしょう。苦しみなあまり生きていけないんではないでしょうか。そういう点からいうと、忘れるということもありがたいものということが言えます。よく世間でも時間が薬となるといわれます。時間と共にその苦しみが癒えていく薄れていくっていうことがあります。仏教の歌に苦に病むな、憂いも辛いも流れ行くというのがあります。そんなに苦しまなくてもいいんだよ、悲しみや辛いことも時間と共に流れていく。時間が薬となって、その苦しみも癒えていくこともあるということです。


また、悲しむな夜が明ければ朝来たるという歌もあります。悲しまなくてもいいよ、夜が明ければ朝来たるいつまでも夜ということはない、必ず朝が来る
いつまでも冬ということがない、必ず春が来るいつまでも雨ということはない、必ず晴れの日が来ると、だからどんなに辛い苦しいことであっても、時間と共にその苦しみが癒えていき、やがては笑える時が来るということです。東日本大震災から今年は11年です。今年テレビを見てましたら、石巻市のある夫婦が特集されていました。


石巻市の大川小学校というのは、児童だいたい100人ぐらいだったそうなんですが、その7割70人くらいの子どもが震災で亡くなってしまったそうです。その夫婦は子どもをなくしてしまって、大変な悲しみに沈んでいました。精神がやっぱり普通ではなくなってしまって、仕事を辞めることになってしまった。とても仕事を続けることができなくなってしまった。また夫婦喧嘩が絶えなくて、離婚届を何度も突きつけるということもあったそうです。しかし時間とともにその悲しも癒えていきまして、今のこんな姿を子供が見たら喜ぶはずがないと、このままでは良くないという気持ちになっていきました。


そして奥さんも笑顔で仕事をするようになり、主人もあまり家出なかったんですが、外に出てボランティア活動もするようになりました。そして小学校に行き、子どもたちに被災体験を語るようにもなりました。震災が起きたら必ず高いところに逃げるんだよ、自分たちが子どもを失った悲しみを話まして、子どもたちに、いかに震災が恐ろしいものかということを語るようにもなりました。大切な人を亡くしますと、辛い苦しい思いを致しますが、辛い期間はあるけれども、その悲しみはいつまでも続きません。
まあ時間とともに癒えていくということであります。


2番目の大悲の願船ということについてお話したいと思います。仏教では、私たちの住んでいる世界を火宅無情の世界と言われます。これが歎異抄に書かれている言葉です。火宅無情の世界というのはどんなことかというと、火宅というのは火のついた家ということで、自分の家の屋根に火がついたような状態です。火がついたらどうでしょう。
ゆっくり朝食は食べてはおれませんし、ゆっくりテレビも見てはおれません。不安で不安で仕方ありません。火宅というのは不安を表します。


無常というのは、常がない続かないということです。私たちの住んでいる世界は、不安の絶えない無情の世界です。仏教では諸行無常と言われまして、諸行というのはすべてのものということです。無常というのは常が無い続かないということです。この世の一切のものは続かない。すべてのものは移り変わっていく。いつどうなるか分からないというのが、諸行無常ということです。私たちの住んでいる世界ば無情の世界、不安の絶えない無情な世の中であります。


だからどうかというと、会者定離(えしゃじょうり)と言われまして、会者定離というのは合うものは離れる定めにあるということです。逢うは別れの始めなりと言われますが、出会ったということは、必ず別れの時がやってきます。いつまでも一緒にいるというようなことはありません、無情な世の中ですから、必ず生き別れということもあるでしょうし、死に分かれということがあります。四苦八苦の中に、愛別離苦という苦しみがありまして、愛別離苦というのは愛しているものと別れる苦しみということです。


これは、愛していればいるほど、大切な人ほど、別れたときの苦しみは大きくなります。そんなに愛していないと、そんなに大事な人ではないとなると、お別れたときは苦しいんですけれども、その苦しみもそんなに大きなものではなくなります。でも大事な人ほど、その人と別れたのならばその悲しみは大きなものとなります。心にポッカリと穴が開いてしまう。何かやる気がなくなってしまう、もう立ち上がれなくなってしまうということもあります。


親鸞聖人は私たちの人生を難度海と海に例えて教えられています。難度海というのは、度というのは、さんずいをつければ渡るということで、渡ることが難しい海ということです。人生には苦しみの波が次から次へとやってきます。一つの苦しみを乗り越えたと思ったら、また次の苦しみがやってくる、苦しみの絶えない人生を、荒波の絶えない海に例えて難度海とおっしゃっています。しかし親鸞聖人は私たちは決して、苦しむために生まれてきたのではないし、苦しむために生きているのではない。人生には苦しみは絶えないんですけれども、どんなに苦しくても諦め無いでね。


この難度海を明るく楽しく渡す大きな船があるんだということを親鸞聖人は教えられ
ました。難度海を度する大船あり、その大船を教えられたものが仏教です。苦しみの人生を明るく楽しく渡す大船、これをまた大悲の願船と言います。難度海で苦しむ私たちを助けてやりたいという仏様の大慈悲の願いによって、造られた船であります。ではこの大悲の願船に、いつ乗せていただけるのかというと、死んでからではありません。生きている現在、只今です。そのことを親鸞聖人は平生業成(へいぜいごうじょう)と言われました。このように書いて平生業成と言えます。平成というのは、死んでからではない生きている現在只今ということです。


業というのは、事業の業の字を書いて仏教では業(ごう)と言います。業といいますのは、これは人生の大事業のことです。言い換えすと人生の目的ということです。何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、どんなに苦しいことがあっても
生きるのはなぜか。私たちにとってこれほど大事なことがありません。では、その人生の目的とは何かというと、大悲の願船に乗せて頂くことなんだよ。大悲の願船に乗せて頂いたのならば、無上の幸福になれるんだよ。この上ない最高の幸せになれる。どんなことがあっても、崩れない、変わらない、未来永遠の幸せになれる。


大悲の願船乗せて頂いて、この無上の幸福になることが生きる目的なんだと教え
られました。最後の成というのは達成する完成するということです。ですから平生業成というのは、人生にはコレ一つ果たさねばならないという大事な目的がある。それは生きている現在只今、この大船に乗せて頂いて、無上の幸福になることである。死んでからではない、生きている現在只今願船に乗せていただけるんだよ。だから皆さん早く、この願船に乗って無上の幸福に成って下さいよと、教えられたのが親鸞聖人ですから、親鸞聖人の教えを平生業成と言われます。


そしてこの大悲の願船というのは、止まっている船ではありません。どこに向かう船なのかといいますと、極楽浄土へと向かう船であります。この願船に乗せていただいたとき、人間に生まれてきて良かった、生きてきてよかった、この身になるための人生だったのかと、喜ぶことができます。そして今までのどんなに辛い悲しい過去の出来事であったとしても、意味を持ち、感謝へと変わります。辛い苦しいことはあったけれども、
辛い苦しいことがあったからこそ、仏教を聞いてこの願船に乗せていただくことができたんだと、どんなに辛い過去も意味を持ち、感謝へと変わるのであります。

 

では3番目の浄土で再開ということについてお話しいたします。歎異抄の第5章にはちょっと難しい内容になりますが、次のように書かれています。浄土の悟りを開きなば、六道四生の間、いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなり。とあります。どんな意味なのか簡単にお話しいたしますと、大悲の願船に乗せていただき、死んで浄土に仏の悟りを開けば、どんな苦しみの世界に沈んでいても、仏の力で、縁のある人を助けることができるだろうと、おっしゃった親鸞聖人のお言葉です。

 

大悲の願船に乗せて頂けば、極楽浄土に行って仏の悟りを開くことができる仏になることができます。仏になったのならば、もう苦しんでいる人を助けずには居れなくなります。仏の力、これを神通力とか、方便力とか言われますが、仏の力で縁のある人を助けることができるだろうとおっしゃった、親鸞聖人のお言葉です。ですから苦しむ人を助けたいと、助けてやりたいと思うのならば、まず自分が仏教を聞いて大悲の願船に乗せて頂くことが大事。これが最優先であります。


大悲の願船に乗せて頂けば、浄土の仏の悟りを開いて、どんな苦しみの世界に沈んでいる人でも、仏の力で助けることができるだろうとおっしゃっています。親鸞聖人の御師匠様が法然上人でありました。親鸞聖人と法然上人は29歳の時にお会いいたしまして、親鸞聖人は法然上人から大悲の願船があることを教えて頂き無上の幸福になられました。親鸞聖人と法然上人が一緒におられたのはわずか6年間。35歳のときには、まあ権力者の弾圧を受けて、親鸞聖人は越後へ、法然上人は土佐四国へと別れることになりました。


突然の別れを悲しまれた親鸞聖人の歌です。会者定離ありとはかねてききしかど、昨日今日とは思はざりけり。会者定離というのは、会うものは離れる定めにあるという仏教の言葉です。会者定離ということは、以前から聞いていたけれど、親鸞聖人は、仏教学んでおられた方ですから、当然会者定離という言葉は知っていました。だけれども、昨日今日とは思はざりけり。まさかその法然上人との別れが、昨日今日とは思わなかった。悲しまれています。


親鸞聖人にとって最も尊敬する人が法然上人。親鸞聖人にとって一番大事な人は法然上人でありました。その法然上人との別れですから、大変な悲しみにありました。でもそれに対して法然上人はどのように返されているのかというと、歌で返されています。別れ路の、さのみ嘆くな法の友、また逢う国のありと思えば。これで別れることになるけれども、そんなに嘆かなくてもいい、悲しまなくてもいいんだよと。法の友、仏法の友よと。また逢う国のありと思えばまた会うことができるじゃないかと、また逢う国があるではないかと、励まされています。


親鸞聖人と法然上人は35歳で別れられまして、そしてその後は、5年後に親鸞聖人はまた法然上人にお会いしたいとこう京都に戻ろうとされた、だけれどもその途中で法然上人が亡くなられたことを聞かれまして、会われるということはありませんでした。
じゃあまた逢う国っていうのはどこのことなのかといいますと、これは極楽浄土のことです。また極楽浄土で再開できるでないかと、法然上人はおっしゃいました。親鸞聖人は29歳の時に、大悲の願船に乗って無上の幸福になられた。


法然上人は43歳の時に大悲の願船に乗られた。共に大悲の願船に乗られていましたから、死ねば浄土に行くことがはっきりされていました。だから今生は、これが最後の別れになるかもしれない。だけれども、また極楽浄土で再開できるんじゃないかと、そんなに悲しんでくれるなとおっしゃった法然上人のお言葉であります。大切な人との別れは人生の大きな悲しみであります。しかし仏教は、苦しみの人生を明るく渡す大船を教えられています。その大船に乗せいただいたのならば、浄土で仏の悟りを開き、苦しむ人を助けずにおれなくなります。


一日も早く、この大悲の願船に乗せていただけるよう真剣に仏教を聞かせていただきたいと思います。いう仏教の話をユーチューブで、続けて配信をしておりますので、関心のある方は、是非チャンネル登録をしていただければと思います。北上も影響は曇りではありましたけども、暖かい天気でありました。暖かい日が続くようになりましたけれども、体調など崩されぬ様にまたお体くれぐれもお気を付けください。ご視聴ありがとうございました。

引用ここまで

如何でしたか、仏教で言う大悲の願船に乗る事が、大切な人と別れた時、悲しみを乗り越える唯一の方法と考えるのも、非常に説得力がありますね。参考にして頂けましたでしょうか。グリーフアドバイスでは、この動画のリンクを貼ってありますので、ご覧頂ければと思います。グリーフアドバイス 運営者 深井

愛する人を失ったとき悲しみを乗り越える方法

今回はユーチューブ動画より

愛する人を失ったとき悲しみを乗り越える方法」を引用しました。この動画でも、テキスト動画だったので動画にはリンクはしておりません。

引用はここから

人生の中では様々な場面で悲しみや喪失感を経験します。
その中で悲しみや苦しみ、そして痛みをどう乗り越えていくかが心身の健康にも重要です。つらい時間を生き抜くための方法が数多く紹介されています。今回もいくつかの方法をご紹介しますので、自分にぴったりの方法で悲しみなどの感情に対応する方法を見つけて下さい。


どれだけたくさんの方法があっても、そしてどれだけの方法を試しても、
乗り越えるのが大変だと感じる辛い経験もあるでしょう。その場合は、辛さや痛みそして悲しみを乗り越える方法をどう適用していくのかをしっかりと学んで下さい。
そしてこれらの方法を試しても数分または数字つで悲しみや辛さがなくなるわけではなく時間をかけてゆっくりと悲しみは癒やされていくことを理解して下さい。


痛みや喪失感はどう表れるのか、大切な人があなたの元を去ったときや他界してしまったとき、空虚感があなたを満たしますが、その影響には個人差があります。主な症状をご紹介します。社会的隔離、睡眠障害、集中力の欠落、仕事や会社でのパフォーマンス性の低下これまで楽しんでいたアクティビティへの興味の喪失、悲しみや喪失感の現れ方には個人差がありますが、長期にわたり健康や日常生活に影響を与えることは間違いありません。悲しみや喪失感を乗り越えるための方法選びは慎重に行って下さい。

他人との関わりを大切に
喪失感や痛みを抱えているとき自分の感情を閉じ込めて一人で過ごすよりも心を開いて
周りの人々と過ごすことで乗り越えることが大切です。周りの人からの客観的な意見を聞いたり、自分はひとりじゃないと実感することや、あなたと同じような経験をした方と、お互いの感情を共有することで少しずつ辛い気持ちが解消されるのを実感するでしょう。

 

化学物質を使用を避ける。
悲しみを乗り越えるためや、気分転換のために化学物質に手を出してはいけません。
喪失感を補うために睡眠薬に頼ると、副作用の危険がありますし、すべてを忘れるまで飲酒する、現実から逃げるためにドラッグに手を出すなどの解消方法はつらい時間を
乗り越えるのに何の助けにもならないだけではなく、自己破壊につながります。

 

痛みを伴う現実に直面したとき。
健康的な方法で乗り越えることが大切です。自然療法、心を穏やかな状態に保つハーブ療法が数多く存在します。今回はおすすめハーブをいくつかご紹介します。心の動揺や悲しみが深いときに抗うつ薬の代替薬としてお試し下さい。カモミールティー、ラベンダー、リンデンフラワー、ラベンダー、アロマセラピーに使うお茶として抽出して飲む。またはエッセンシャルオイルとして枕に軽く振りかけるなどのいろいろな方法でお試し下さい。

 

瞑想
辛い体験や痛み、そして大切な人を失う経験によって心を閉ざしてしまう人がいます。
自分の殻に閉じこもりそうになった時、瞑想によって乗り越えることができます。
瞑想は自分以外の世界を忘れることではなく、自分の内面の神の感情と向き合うことです。心が痛みや悲しみで傷ついているときに瞑想をするのは、簡単なことではありませんが、悲しみを乗り越える方法の一つです。


自分に起こった出来事に対してイライラしたり混乱すると、感情が爆発することがあります。感情が爆発しそうになったら、そのエネルギーを何かクリエイティブなことに使いましょう。健康的な方法でエネルギーを発散しないと、周りの人との人間関係にも悪影響を及ぼしますし、ネガティブな感情を押し殺しているといつか爆発します。
クリエイティブな方法で想像力を使い、溜まっている感情を外に向けて発信することで、辛い状況を乗り越えられます。


旅行
喪失感や悲しみから逃げるのに旅行が最も良い方法だいう考え方もあります。いつもと違う景色を見たり新しい土地を訪れることで、心を回復させ喪失感や悲しみを乗り越え、日常生活に戻るきっかけを作ります。悲しんでいるときでも旅行に行けば、世界には素晴らしいことがたくさんあり、まだ自分の人生は輝くことに気づきます。旅をすることで人生や世界の素晴らしさ、そして美しさにインスピレーションを受け新たな一歩を踏み出すことができます。


思い出を大切に
愛する人を失ったとき、思い出まで消えてなくなるわけではありません。二人の思い出を大切にして生きていくことが大切です。思い出を大切にする方法をご紹介します。小さなメモリアルパーティーを開く自宅に小さなスペースを作り、思い出の品を飾る。
毎日の生活に組み込み、思い出すことができるようなアクティビティを考える。
少しずつ時間をかけて失ってしまった人へのお別れを行って下さい。時間の経過とともに大切な人の思い出を忘れず、しかも胸にしまったまま痛みを乗り越え人生の新しい章へと進むことができます。

引用はここまで

ここからは運営者の感想です。
如何でしたか、私も、喪失時には様々な対処法を実践してきました。それで実感した事は喪失時のダメージも10人十色で、全ての方に合った方法なんて無いと言うことでした。だから今回の悲しもを乗り越える方法も、実際に試して見る以外に方法はありませんので、ご自分に合いそうな方法を実践して見る事を、お薦めします。

griefadvice.com

運営者 深井
グリースアドバイスでは、このようなグリーフケアに関するコンテンツを幅広く取り上げています。ぜひ、一度お立ち寄り下さい。

 

 

 

 

 

死別経験のある50代60代の方へ婚活アドバイス

今回は初めて死別者同士の再婚についてのユーチューブ動画から引用しています。

今、喪失後の再婚を考えられておられる方の参考になると思います。

 

ここより引用します

こんにちはシニア婚活サードバイザーの立花えりこです。
この花みてください。今日はブライダルゼルムもご成婚退会された50代のカップルが
これからお見えになります。ご成婚カップルのために今日はお花ご用意してきました
男性が59歳の男性で、女性が53歳、お二人とも前のパートナーと不幸にも死別してしまった死別同士のカップルです。

結婚相談所のコミュニティのカテゴリーっていうのは4種類ありまして、初婚(結婚経験がない人)、再婚生別(バツイチ)これは離婚した人バツイチですね。あとは再婚死別(死別した人)これは死別してしまった人、後は再再婚以上(バツ2やバツ3)とかそういったカテゴリーに分かれています。今日はその中で再婚死別のシニアの婚活について素朴な疑問など交えてお話させて頂きたいと思います。

 

まずは、死別してしまった方の婚活の傾向についてなんですけれども死別された方っていうのは、女性は特に遺族年金をもらっていたり後は亡くなったパートナーが家を残してくれていたりするので、入籍は特に急いでないという方が多いんですね。以前は、例えば52歳の女性なんですけれども、私はお茶飲み友達希望なんでしょうかって、いうご相談があったんですね。


なんでそんな若いのにお茶飲み希望なんですかって私が聞いたら、入籍を希望してなくてパートナーを探すっていうのはお茶飲み友達なんじゃないかしらっていうことで、ブライダルゼルムの60代70代、中心のお茶のみパーティー出会いに52歳なのに来ていたんですよ。


でもそんなお話を聞いて未入籍婚希望で婚活すればいいんじゃないって言って結婚相談所の方でお見合いをしたんですね、めでたくまあ婚活した末彼女は同じように入籍は急がないよっていう男性とご成婚退会されて、今はまだ入籍はしてないけれども、お二人で暮らしていらっしゃいます。


そんな風に入籍急がなくても、結婚相談所で婚活することは可能です。死別してから、どれくらいで婚活してる人が多い?これよく女性のお客様に言われるんですけれども、パーティで出会った人とか、お見合いした男性が死別してまだ1年ちょっとしか経ってないの、そんなんですぐ婚活するなんてちょっと薄情すぎないっていう風に言われたりするんですよ。


でも私いつもそれ聞いてちょっと違うなっていうふうに思っていて男性は割と1年とか2年とが短期間で次の相手探しをされる方が多いんですね、それは皆さん奥さんのことを愛してなかったというわけではなくて、ものすごく奥さんのことを逆に愛していて、女性がを家庭にいないっていうことがもう耐えられない、生活するのも寂しいし、早く次のお相手を見つけたいっていうふうに思って、婚活を始める方が多いです。


なのでそういう男性と結婚したら、前の奥様と同じように愛してくれるし、きっと幸せな家庭が築けますよっていうふうに私は言っています。で次は女性の場合なんですけど、女性はまあ死別して10年以上経っちゃうと、ちょっと婚活足が遠のきますね。また他人と一緒に暮らせる自信がないとか、何も一人でいることに慣れてしまっているので、ちょっとこれからまたパトナーと歩むよりは一人の方が気楽でいいやっていう風なお気持ちになりやすいみたいです。


ですからだいたい女性の場合は、死別して4年から5年っていうのが、一番大事な時期
かなーって思ってます。7年過ぎると私の母なんかもそうなんですけども今、更この歳で新しいお相手探すのもちょっとねっていうふうに開きなっちゃう方も多いですね。元妻、元夫の遺品はどうしてる?遺品問題なんですけれども、できれば婚活中から前のパートナーの痕跡については、少しずつ片付ける努力をしていくことが大事だと思います。


ですけれども仏壇だったり、シニア婚活の場合は結婚後、お墓の問題もありますよね、
前の奥さんと同じお墓に入るっていう方どれくらいいらっしゃるでしょうか。お互いが死別でお墓があるんだったら、きっと最初のパートナーのお墓に女性も入ると思うんです。そういうことも少しずつ話し合っていく必要があるかと思います。

 

婚活中に死別女性が嫌がる事
あと男性にこれ言っておきたいんですけれども、婚活中の死別の女性が嫌がる事お見合いの時になんで前の旦那さんなくなったのって、なくなった原因を不躾に聞かないこと、これすっごく死別の女性嫌がります。やっぱり初対面の人にいきなりそんな事言われて、引きずって前の旦那さんの話してると涙出てきちゃう方もいらっしゃるんですよ。そういう中で、こういきなりそんな事を聞く人ってどうなのっていう、ものすごく抵抗感を感じるらしくって、なのでお見合いでは聞かないで交際に入ったら自然とそういう話になっていくと思うので、そこはNGな質問として覚えておいてください。

 

死別シニア婚活男性にありがちなこと&死別男性と交際する心得

死別の男性あるあるなんですけど、お見合いの時とか、デートの時に亡くなった奥様の話しすぎです。ひどい方はお見合いの時に、元妻の写真を持参してお見合い相手にその写真を見せて、こんなに綺麗な家内だったんだよ、料理が上手で、優しくて、って効泣き出しちゃったりして、お見合い相手困らせてしまったりとか、たまにあります。そういうのを見ると女性はちょっと私の入る隙ないよねって、いうふうにどうしても思っちゃいますよね。


ですけど女性に心がけてほしいのは、死別の男性とお付き合いするときどうしてもご本人が気をつけていても、奥様の話って絶対出てきてしまいます。奥様のことを大事に思ってれば思っているほど、やっぱり思い出のすべてがもう奥様との思い出なので、自然とやっぱり会話の中に出てきちゃうんですね。ですけど、そこも気にしない事、相手はもう死んじゃってるので、そこを気にして引きずってるからっていうふうに引け目を感じてしまうよりは、私が忘れさせるとか、私も奥様みたいに大事にされたいとか、そういう気持ちで交際して行かれた方がずっといいと思います。

 

なんだったら一緒にお墓参り行ってあげるよーくらい、あの毎日仏壇にお水を変えたりとか奥様もその女性が大事にしてあげる事で、男性はもっと感謝するようになります。
だから亡くなった奥さまのことを認めてあげることっていうのがすごく大切。死別の男性とお付き合いする女性はここのところちょっと心得て、婚活望んでてほしいですね。


結婚相談所に入会するときに、入籍は特に急がなくていいのと言いつつも、半分以上の方は結果的に普通に婚約して、成婚退会されます。これ結構シニア男性にとっては3カ月の交際期間で結婚の意思を決めるって、割とプレッシャーになりやすいんですね。ですけど女性が入籍は急がないよっていうスタンスでいると、ちょっと気持ちが軽くなって、そのまま自然と結婚したいっていう気持ちに向いてきたりとか、まぁ、結婚有りきの婚活っていうふうに、当たり前なんですけど、只、シニアの場合は、そこがちょっと直結しにくくなってて慎重です。

 

なので男性には、自然とそう言う気持ちになるように促してあげることも、大事だと思います。でも結婚相談所以外で、死別のカップル、入籍は希望しないのって言う人が
出た場合って、女性はやっぱりちょっと心配ですよね。都合の良い女になっちゃうんじゃないのとか、会いたい時にだけ会って恋人関係を続けて、何かけじめが無い感じが
するっていうふうに不安になると思うんですよ。


死別の方の婚活で、これ結構勘違いされやすいことなんですけど、自分が死別だから
お相手も死別の方がいいっていう希望があるみたいなんですね。同じような環境だから、こう共通点があって気持ちが分かち合いやすいのではっていう風に思われる方多いんですけど、結構これってズレがあって私は婚活をするために、前の旦那さんの物を処分して、新たな人生をスタートさせるために、気持ちを切り替えて婚活するっていう方もいれば、男性は次の相手が見つからないと向上できない方が多いんですよ、なので家に行ってみたらすっごい今までの奥さんの写真とか痕跡がたくさんあって、ちょっとここでは暮らせないっていうふうに女性が思ってしまったりとか、がっかりしてしまうことも多いんですね。


なので死別の方同士だから合うって言うのは必ずしもそうではなくて、そこに拘らずに婚活する事っていうのも大事だと思います。はい今回は死別の方の婚活について、素朴な疑問など交えてお伝えさせていただきました。いかがでしたでしょうか?この動画をご視聴いただいてありがとうございます。高評価とチャンネル登録どうぞよろしくお願いします。これからもシニアの婚活に有益の情報をお届けしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。ありがとうございました。

引用ここまで


如何でしたか、死別者同士の再婚って大変です。私自身も現在は再婚していますが、
再婚当初はやはり互いに過去に拘り、なかなかしっくりした生活を実現するまでには相当の苦労があったと記憶しています。これから再婚される方の参考になれば幸いです。


グリーフアドバイス運営者 深井

グリーフアドバイスでは今回の動画を直接ユーチューブ動画にリンクを貼っております。一度お立ちより下さい。

 

 

苦しみから抜け出せない人に聞いて欲しい話

今回もユーチューブ動画から引用します


ここから引用
おはようございます。ニルヴァーナチャンネルです。苦しみから抜け出せない人に聞いて欲しい話っていうテーマでお話ししていきます。非常に摩訶不思議な話なのでですね、まあ信じられない人はもうすぐに閉じていただいて全然かまわないので、本当に苦しくてどうしようもない、どうすればいいのかわからないという人だけ聴いていただければなぁと思います。


いろんな苦しい事ってあると思うんですよね。病気が治らないとか、体仕事がうまくいかない、貧しい、誰かに苛められる、嫌がらせされる、いろんな苦しいことであると思うんです。それでですね、本当に苦しい人生をですね、歩んでる人ってやっぱりいるんですよね。僕自身もやっぱりすぐ苦しかったんですね、ずっと苦しかったですね。苦しくて、苦しくて、しょうがないって人生をずっと歩んできたんですね。


それでですね、あーあの、じゃあ本当に苦しくなったとき、本当に困ったとき、どうすればいいのかっていう話があってですね、昔から日本でですね、あの困った時の神頼みっていう風に言うんですよね。困った時の神頼みの困ったときは、神様にお願いするしかないんだって、それで日本の風習だと、あの神社に行って、本当に苦しいときとかね本当に困った時っていうのはお百度参りっていうをするんですよね。


百度参り、で願掛けをするんですよね。それで昔、一つ屋根の下っていうドラマがあって、そのドラマの中でも、そう言うシーンがあったと思うんですよ。あの、あんちゃんね江口洋介さん演じる、あんちゃんはですね。お百度参りってのをするんですよね。本当に苦しくて苦しくて耐えられなくなってお百度参りをして、言うシーンが出てきたと思うんですけども。すごい感動的なドラマですね。僕もすごいあのドラマいい話だなぁと思ってたんですけど。


昔から日本では、その百度参りっていうものをしてたんだと、で本当に苦しい時に、困ったときね、例えば、子どもが全然生まれなくて子供が欲しいとか、誰か家族がね、ものすごい重い病気になっちゃって、もうお医者さんでさえ助けられないっていうときには、お百度踏んだりとかそういう風習があったんですよね。


で実はこの風習っていうのは日本だけじゃなくて、いろんな海外の国でね、そういう風習であるんですよね。人間の力でダメになった時は、本当に神様の力を頼るしかないと、言って困った時は神頼みするっていう、いろんな国でそういう風習ってなぜかあるんですよね。じゃあ本当に何百年前とかって言うと、言葉が全然違うし、あの、そんなにね、今みたいにあの飛行機で海外の行き来が活発で文化交流があったっていうわけじゃないんですよね。


今よりもっともっと文化交流も少なかったんですよね。それでも昔から色んな国とかね、色んな地方でね、あの神様にお願いするって風習がなぜかあったんです。なんでそういうのがあったのかなっていうことはね、もうこれは僕も不思議だなあっていうふうに思ってるんですけど、なぜか色んな国、いろんな地方、いろんな風習でですね、あの本当に困った時は神様にお願いするしかないんだということが、なぜかあるんですね。


インドの方でもですね、あの何千年も昔に書かれてたねその本。バガヴァッドギータっていう本なんかも、読んで見るとすべてを神に託せと思考の神。そのすべてを作ったその創造主に託しなさいと。全託とかっていうみたいなんですけど日本語だと。そういうふうにすべてを託しなさいと、人間ができることってのは本当に数限られてるんだと。だからすべてをね、その自分の想像した何か大いなる源に対して委ねるんだと、いう考え方って出てくるんですよね。


あのキリスト教の方でもね、僕も大学はミッション系だったもんで、あの聖書の授業とかあったんですけど、やっぱりね、あの父なる神、父なる神に委ねるというかね、そういう考え方ってなぜかあるんですよね。だから、いろんな国で、いろんな風習でですね、昔からそういう風に言ってる人達ってでなぜか居たんですよね。


それでどうして苦しいのか、どうしてなかなか悩んでしまうのか、どうして困ってしまうのか、と言うとこれも、本当に信じられない話だと思うんですけど、あの、カルマというものがあるんだと、人間には何度も何度も生まれ変わる中で犯してきた罪っていうのがあるんだと、今も覚えてないんですよ。今僕はもう昔のこと前世のことなんか覚えてる人ごくまれにしかいないですからね。


でも、そういうふうに罪を科してきたんだと、やっちゃいけないことをやってきたんだと。そしてそれというのが実は今回の人生で出る人がいるんだと。そう言う話があるんですね。昔から日本では、あの因果って言ったりね、仏教的な言葉でと業って言ったり、インドの方だとカルマっていうふうに言いますよね。


その、で今苦しんでいる人はたまたま今はそれが今出ただけの話であって、僕らほとんどの人がもうどっかのね、長い長い輪廻転生の中で、そういうやっちゃいけないこととね、例えば人に迷惑をかけるとか、人殺しするでもいい、何するでもいい、色んなこう、悪いことやってるんですよね。それが今出てる人っての実はいるんですよね。


そのカルマに苦しんでる人が居る。その因果その業に苦しんでる人って言う人は絶対いるんですね。それがある人は今出てて、ある人は今出てないかもしれないけど、また、いつか出るかもしれないという話であって、だから誰が悪いとか誰が良いとする話でもなくてね、いやそういう重いカルマ、重い因果、重い業を背負ってしまってね、本当につらくてつらくてたまらないという時、どうすればいいのかっていうと、もう本当に昔からいわゆる聖者賢者っていう人たちは、もう神にすべてを委ねなさいと。

 

本当に苦しくなった時に、自分の力は無駄というふうに知ってですね、その、大いなる存在にもうすべてを委ねるしかないんだと、そして大いなる存在に祈りなさいっていうそういう風習があったんですよね。いろんな国でね、その雨乞いの儀式があったりとかね、まあ日本のお祭りだったりとかね、あれも豊穣をね、祝うお祈りだとかっていう学者さんなんかも居て、本当かどうかわかんないですけど、でもそうやって祈ること、自分自身の存在というのは本当に無に近いんだと、そして本当に苦しくなった時に、自分以上のね、もっともっと大いなる存在にもう祈るしか無くなってくるっていうそういう話だね。


この祈りっていう物にはもの凄いパワーがあって、やってみるしかないんです。これ体験してみるしかないと思うんですけど、本当に苦しくなった人は、本当に大いなる存在というものにですね祈る。その大いなる存在という人に、人って言うか、大いなる存在にも明け渡す。そういうことをね、本当に苦しくなった時はやるしかないんじゃないかなというふうに思います。


全てを託すですね。自分っていうのが無駄だと、無力なんだと、その大いなる存在にねすべてを明け渡して、どうか助けてくださいと祈ってみる。そう言うことをね、もし本当に苦しくて、苦しくて、どうしても苦しいという人は行って見ると何か変わるんじゃないかなというふうに思います。それで、この話はですね非常に特殊な不思議な話なのでですね。ぜひ本当に苦しくて、苦しくて、どうしようもない、しょうがないという人は、ぜひ行ってみるといいんじゃないかなと思います。


そしてもしね、やって見て。本当に心の底から祈ってですね、助けてくださいと祈って祈って祈って助かったら、救われたら、もうそれをね今度はぜひ他の人に教えてあげるって言う、そういう番なるとすごくいいんじゃないかなというふうに思います。別に今からその、この話をね、あのじゃあ祈りなさいと話を誰かに喋って教えて、啓発しろという話をしてるんじゃなくて、苦しくて、苦しくて、たまらない人が本当に祈って解決もししたらね、今度はまた自分が次に人に教えてあげる番というふうになると思うんだよね。そういうふうにやってみるといいんじゃないかなと思います。

 

それであの祈るっていうことについてなんですけど、例えばあの人が嫌いだとかね、あの人はムカ付く、潰してやるとかねそういう破壊的な祈りっていうのは絶対やめた方がいいと思います。昔からの黒魔術って言ってね、藁人形をカンカンやったりとか、そういう魔法と使って何かやったりとか、そういうことをやるの職業にしている人もいるんですけども、そういう祈り方っていうのは辞めたほうがいいと思います。


またそう言うね誰かを不幸にする、誰かを攻撃するっていう、そういうことやってるとまた重いカルマまた重い因果っていうのを積むことになるんでね、僕はそういうことはしない方がいいんじゃないかなと思うんです。誰かをね、不幸にして、誰かを攻撃して、誰か貶めて、そう言う事がやっぱり重いカルマの原因になっていくと思うんでね、誰かを批判したりとかね、そういうことじゃなくて、祈りっていうのをちょっと考えて見て下さい。それではお聞きいただきましてありがとうございました感謝してます。

引用ここまで

 

ここからは運営者のコメントです。

如何でしたか、困った時の神頼みって世界中に存在していた行為なんですね!日本固有の考え方と思っていましたが、やはり神の存在は様々な国や地域にあるのですね。本当に信じる者こそ救われるかも知れませんね。

 

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