苦しみから抜け出せない人に聞いて欲しい話

今回もユーチューブ動画から引用します


ここから引用
おはようございます。ニルヴァーナチャンネルです。苦しみから抜け出せない人に聞いて欲しい話っていうテーマでお話ししていきます。非常に摩訶不思議な話なのでですね、まあ信じられない人はもうすぐに閉じていただいて全然かまわないので、本当に苦しくてどうしようもない、どうすればいいのかわからないという人だけ聴いていただければなぁと思います。


いろんな苦しい事ってあると思うんですよね。病気が治らないとか、体仕事がうまくいかない、貧しい、誰かに苛められる、嫌がらせされる、いろんな苦しいことであると思うんです。それでですね、本当に苦しい人生をですね、歩んでる人ってやっぱりいるんですよね。僕自身もやっぱりすぐ苦しかったんですね、ずっと苦しかったですね。苦しくて、苦しくて、しょうがないって人生をずっと歩んできたんですね。


それでですね、あーあの、じゃあ本当に苦しくなったとき、本当に困ったとき、どうすればいいのかっていう話があってですね、昔から日本でですね、あの困った時の神頼みっていう風に言うんですよね。困った時の神頼みの困ったときは、神様にお願いするしかないんだって、それで日本の風習だと、あの神社に行って、本当に苦しいときとかね本当に困った時っていうのはお百度参りっていうをするんですよね。


百度参り、で願掛けをするんですよね。それで昔、一つ屋根の下っていうドラマがあって、そのドラマの中でも、そう言うシーンがあったと思うんですよ。あの、あんちゃんね江口洋介さん演じる、あんちゃんはですね。お百度参りってのをするんですよね。本当に苦しくて苦しくて耐えられなくなってお百度参りをして、言うシーンが出てきたと思うんですけども。すごい感動的なドラマですね。僕もすごいあのドラマいい話だなぁと思ってたんですけど。


昔から日本では、その百度参りっていうものをしてたんだと、で本当に苦しい時に、困ったときね、例えば、子どもが全然生まれなくて子供が欲しいとか、誰か家族がね、ものすごい重い病気になっちゃって、もうお医者さんでさえ助けられないっていうときには、お百度踏んだりとかそういう風習があったんですよね。


で実はこの風習っていうのは日本だけじゃなくて、いろんな海外の国でね、そういう風習であるんですよね。人間の力でダメになった時は、本当に神様の力を頼るしかないと、言って困った時は神頼みするっていう、いろんな国でそういう風習ってなぜかあるんですよね。じゃあ本当に何百年前とかって言うと、言葉が全然違うし、あの、そんなにね、今みたいにあの飛行機で海外の行き来が活発で文化交流があったっていうわけじゃないんですよね。


今よりもっともっと文化交流も少なかったんですよね。それでも昔から色んな国とかね、色んな地方でね、あの神様にお願いするって風習がなぜかあったんです。なんでそういうのがあったのかなっていうことはね、もうこれは僕も不思議だなあっていうふうに思ってるんですけど、なぜか色んな国、いろんな地方、いろんな風習でですね、あの本当に困った時は神様にお願いするしかないんだということが、なぜかあるんですね。


インドの方でもですね、あの何千年も昔に書かれてたねその本。バガヴァッドギータっていう本なんかも、読んで見るとすべてを神に託せと思考の神。そのすべてを作ったその創造主に託しなさいと。全託とかっていうみたいなんですけど日本語だと。そういうふうにすべてを託しなさいと、人間ができることってのは本当に数限られてるんだと。だからすべてをね、その自分の想像した何か大いなる源に対して委ねるんだと、いう考え方って出てくるんですよね。


あのキリスト教の方でもね、僕も大学はミッション系だったもんで、あの聖書の授業とかあったんですけど、やっぱりね、あの父なる神、父なる神に委ねるというかね、そういう考え方ってなぜかあるんですよね。だから、いろんな国で、いろんな風習でですね、昔からそういう風に言ってる人達ってでなぜか居たんですよね。


それでどうして苦しいのか、どうしてなかなか悩んでしまうのか、どうして困ってしまうのか、と言うとこれも、本当に信じられない話だと思うんですけど、あの、カルマというものがあるんだと、人間には何度も何度も生まれ変わる中で犯してきた罪っていうのがあるんだと、今も覚えてないんですよ。今僕はもう昔のこと前世のことなんか覚えてる人ごくまれにしかいないですからね。


でも、そういうふうに罪を科してきたんだと、やっちゃいけないことをやってきたんだと。そしてそれというのが実は今回の人生で出る人がいるんだと。そう言う話があるんですね。昔から日本では、あの因果って言ったりね、仏教的な言葉でと業って言ったり、インドの方だとカルマっていうふうに言いますよね。


その、で今苦しんでいる人はたまたま今はそれが今出ただけの話であって、僕らほとんどの人がもうどっかのね、長い長い輪廻転生の中で、そういうやっちゃいけないこととね、例えば人に迷惑をかけるとか、人殺しするでもいい、何するでもいい、色んなこう、悪いことやってるんですよね。それが今出てる人っての実はいるんですよね。


そのカルマに苦しんでる人が居る。その因果その業に苦しんでる人って言う人は絶対いるんですね。それがある人は今出てて、ある人は今出てないかもしれないけど、また、いつか出るかもしれないという話であって、だから誰が悪いとか誰が良いとする話でもなくてね、いやそういう重いカルマ、重い因果、重い業を背負ってしまってね、本当につらくてつらくてたまらないという時、どうすればいいのかっていうと、もう本当に昔からいわゆる聖者賢者っていう人たちは、もう神にすべてを委ねなさいと。

 

本当に苦しくなった時に、自分の力は無駄というふうに知ってですね、その、大いなる存在にもうすべてを委ねるしかないんだと、そして大いなる存在に祈りなさいっていうそういう風習があったんですよね。いろんな国でね、その雨乞いの儀式があったりとかね、まあ日本のお祭りだったりとかね、あれも豊穣をね、祝うお祈りだとかっていう学者さんなんかも居て、本当かどうかわかんないですけど、でもそうやって祈ること、自分自身の存在というのは本当に無に近いんだと、そして本当に苦しくなった時に、自分以上のね、もっともっと大いなる存在にもう祈るしか無くなってくるっていうそういう話だね。


この祈りっていう物にはもの凄いパワーがあって、やってみるしかないんです。これ体験してみるしかないと思うんですけど、本当に苦しくなった人は、本当に大いなる存在というものにですね祈る。その大いなる存在という人に、人って言うか、大いなる存在にも明け渡す。そういうことをね、本当に苦しくなった時はやるしかないんじゃないかなというふうに思います。


全てを託すですね。自分っていうのが無駄だと、無力なんだと、その大いなる存在にねすべてを明け渡して、どうか助けてくださいと祈ってみる。そう言うことをね、もし本当に苦しくて、苦しくて、どうしても苦しいという人は行って見ると何か変わるんじゃないかなというふうに思います。それで、この話はですね非常に特殊な不思議な話なのでですね。ぜひ本当に苦しくて、苦しくて、どうしようもない、しょうがないという人は、ぜひ行ってみるといいんじゃないかなと思います。


そしてもしね、やって見て。本当に心の底から祈ってですね、助けてくださいと祈って祈って祈って助かったら、救われたら、もうそれをね今度はぜひ他の人に教えてあげるって言う、そういう番なるとすごくいいんじゃないかなというふうに思います。別に今からその、この話をね、あのじゃあ祈りなさいと話を誰かに喋って教えて、啓発しろという話をしてるんじゃなくて、苦しくて、苦しくて、たまらない人が本当に祈って解決もししたらね、今度はまた自分が次に人に教えてあげる番というふうになると思うんだよね。そういうふうにやってみるといいんじゃないかなと思います。

 

それであの祈るっていうことについてなんですけど、例えばあの人が嫌いだとかね、あの人はムカ付く、潰してやるとかねそういう破壊的な祈りっていうのは絶対やめた方がいいと思います。昔からの黒魔術って言ってね、藁人形をカンカンやったりとか、そういう魔法と使って何かやったりとか、そういうことをやるの職業にしている人もいるんですけども、そういう祈り方っていうのは辞めたほうがいいと思います。


またそう言うね誰かを不幸にする、誰かを攻撃するっていう、そういうことやってるとまた重いカルマまた重い因果っていうのを積むことになるんでね、僕はそういうことはしない方がいいんじゃないかなと思うんです。誰かをね、不幸にして、誰かを攻撃して、誰か貶めて、そう言う事がやっぱり重いカルマの原因になっていくと思うんでね、誰かを批判したりとかね、そういうことじゃなくて、祈りっていうのをちょっと考えて見て下さい。それではお聞きいただきましてありがとうございました感謝してます。

引用ここまで

 

ここからは運営者のコメントです。

如何でしたか、困った時の神頼みって世界中に存在していた行為なんですね!日本固有の考え方と思っていましたが、やはり神の存在は様々な国や地域にあるのですね。本当に信じる者こそ救われるかも知れませんね。

 

griefadvice.com

運営者 深井

グリーフアドバイスサイトでは、グリーフケア
関連の様々な情報を掲載しています。ぜひ一度
お立ちより下さい。